昨日の朝刊を見て、うれしくなりました。
あの宮尾登美子さんが、46年ぶりに ふるさとの高知へ帰ってきて、これからもずっと住むというのです。
記事によると、すでに高知城がのぞめるマンションを購入し、いっときの休養後、執筆活動を始められるとのこと。
お城の見えるマンション?。うーん、あそこかな、いや、あそこに違いない。おっと、そんなことを詮索してはいけません。
宮尾ワールドが好きで、若いころは、むさぼるように読みました。
≪岩伍覚え書≫≪櫂≫≪寒椿≫≪鬼龍院花子の生涯≫≪陽暉楼≫ ‥‥‥。
3年ほど前、新聞に宮尾登美子さんの、講演会受講者募集の記事があり、葉書を出したところ当たり、聞きに行きました。
すてきな着物をおめしで、このときも今から思うと、すでに80歳はだいぶ過ぎていたはず
ですが、とても若々しくて
やさしい声で、それでいて土佐弁や方言を使うため、会場がなごやかになりました。
ご自分の生い立ちや、結婚したが作家になるため上京したこと、また天璋院篤姫など歴史物を書く時の、時代考証や
歴史に関する書物等 目を通すものが膨大にあり、体力が要る等々。
その後、客席と質疑応答をしてくださり、私なんか足元にも及ばないくらいなファンの皆様の、専門的な質問にも
丁寧にお答えくださいました。
宮尾ワールドは彼女のお父様の職業、当時は合法であった芸妓や遊女を斡旋する人身売買業「女衒」がどの作品にも
核になっており、ここから繰り広げられる様々な人間模様、大正から昭和初期にかけての 時代の風景が広がります。
ほとんどの作品が映像化されており、お父様がモデルの役者は、何といっても緒形拳が一番です。
女優さんは、「おまんらあ、なめたらいかんぜよ!。」が有名になった夏目雅子をはじめ、南野陽子、十朱幸代、
松たか子など きら星のごとくです。
宮尾登美子さん、お好きな “りゅうきゅう” をたくさん食べて、次の作品をお願いします。
宮尾ワールドの女性は、苦界に身を沈めても、このバラのように気高く美しく‥‥‥。
その名も “リリー・マルリーン” です。
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pm楽しく参加出来たよ
ありがとう
ドロドロの内容も すっきりと書いていく
ところが 好きです
土佐の方なのに 江戸っ子みたい!
これからも、楽しみにしています
それにしても
流石
また、少しずつ、Hさんを説得して、
ひよこ組へ迎えたいものです。
以前にも感じましたが、まりもちゃんは
そうとう文学少女だったと思います。
今は、ボーとする時間が、一番ぜいたくで
貴重な時間だと感じます。
宮尾先生の近況が知りたく、検索したところ、たどり着きました。
高知に引っ越されたとのこと。初めて知りました。
ブログのアドレスおいていきます。よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
このblog記事を載せてから もう1年半がたっており改めて
驚きました。
宮尾登美子さんの講演会を聞きに行ったのはもう4-5年前の
ことになりますがこの時 先生はご自分の生い立ち
父親の職業 嫁ぎ先の農家のこと 家族を捨てての上京
などたくさん語られました。
今でも県内には親戚 知人がたくさんおりウソはつけません
とも言っておられました。
先生がお若く執筆活動盛んなころ高知市の隣の南国市に
仕事場を持っておられたこともあります。
時々土佐に帰り 気分を変えて書かれたのでしょうか。
1年半前の高新の記事以来 先生の近況は聞かれず
あれほどの作家ですからきっと新聞社からも執筆の
依頼があるでしょうが同じ高知市に住んでも とんとお声が
聞けません。
先生も87歳 お一人で住んでおられるのか それともだれかが
お世話しているのか私も気にはなっておりました。
ほっそ様の記事を読むと実にいろんな作品を読んでおられ
宮尾先生のものもたくさん読破されております。
私も若い頃は先生の作品をいくつか読みましたが目が
疲れる歳になり最近はほとんど読みません。
またお便りくださいね。
週刊朝日(2015.1.23)の「追悼 宮尾登美子さん 望んでいた美しい最期」には、死に支度としての高知ご帰還が書かれていて、愛読者としてご帰還当時の宮尾さんの心中を知る貴重な情報になりました。
週刊朝日の追悼記事では、宮尾さんは友人知人との交遊を断っての高知帰還と読めるのです。
その後、具合を悪くされて東京・狛江のご自宅へ移られ、心臓の病での入院、大腿部骨折での入院と続き、骨折での入院中には胃ろう造設術も受けられたとのこと。
亡くなられる1か月前、高知から見舞われた知人に「また来てね」と涙を流されたともあり、宮尾さんのお心が伝わります。
胃ろう造設する状況でらしても、最期の食事をされたのは、良かったと思いました。
人の生活の姿を情報で知るのは難しいことですが、宮尾ファンとして、高知新聞の覇気を感じる宮尾さんご帰還の姿を知ることができ、何かホッとしました。