毎朝のはじまり朝ドラ「エール」を見抜かっても 土曜日朝のまとめて
再放送が見られ 今週は裕一が慰問団として ビルマインパールを訪れ
かつての恩師 藤堂先生と再会する 感動のシーンが観られました。
藤堂先生は幼いころの裕一の音楽的才能をいち早く見つけ 道しるべを
つけてくれた 大恩人です。
再会をよろこび 裕一がビルマで作った『ビルマ派遣軍の歌』を美しい
声で歌う 藤堂先生役の森山直太朗。 彼の『さくら』は大好きです。
その翌日の演奏会本番の日 敵の攻撃を受け 藤堂先生は裕一の腕のなかで
息絶えます。先生は前夜 妻あてに手紙をしたため 裕一に託しました。
以前NHKでも放送があったドキュメンタリー「戦慄の記録インパール」は
太平洋戦争中 陸軍上層部のエゴにより 最も無謀とされる戦略で 多くの
戦死者を出した地として のちのちまで語られています。
日本軍が連合軍に勝てるはずがなく 早々と白旗をあげておればインパール
での何万人もの戦死者を防げたし 広島・長崎の原爆投下も防げたろうにと
今だから言えますが 当時は 降参するなどと言ったら 国賊でしたから。
朝ドラエールは 当初130話の予定が120話に減って 来月11/27に終わると
聞きました。仕方がないとはいえ 残念です。
ほかの人のblogから オープニングで撮られた 愛知県豊橋市にある伊古部
海岸での 最終回の撮影も終わったそうです。
砂浜に寝転ぶ 若き日の裕一と音。最後までしっかり観ようと思います。
これからは、鐘が鳴るの歌が作られるんですね、
子供の頃によく歌った歌でした、あれもこれもと馴染みの歌が生まれますね、
改めて戦争の恐ろしさ、もたらす大きな不幸を想いました。
夢も、家族も、財産もすべて取り上げてしまうのですものね。
戦場場面はよくセット丸わかりの場面があるのですが、
この場面は真に迫っていました。
千葉県の山の中を使われたそうですが、
まだ50歳というお若い監督さんをはじめ、スタッフさんの(伝えたい!)という気持ちがありありと伝わってきて涙が溢れました。
祐一も戦場に行く前と帰ってからの顔つきが一変してて役者さんって、、役の中で育っていかれるのだな~と今更ながら感心しました。
感動の中で気づいたのですが、
戦場場面の日、敗戦の日のドラマには、
(エール)のテーマ曲が流れませんでしたね。
監督さんのこのドラマにかけられる気持ちが伝わり、
これにも感動でした。
今の子供たちすべてが、ずっと
(戦争を知らない子どもたち)であってほしいと
つくづく思いますね。
余談ですが、古関裕而さんのお子さんのおひとり(ドラマには出てこられていませんが)
ヴィレッジシンガーのメンバーだったのですってね。
まとめて1週間の今朝 藤堂先生の戦死シーンを見て涙があふれました。
最前線の兵士は 負け戦と分かっていても戦わねばならず 藤堂先生も
死ぬ覚悟はできていても 妻や幼い息子にもう一度会いたい気持ちを
手紙に綴り裕一に託して インパールで死んでいきました。
hirokoさんのお父様は戦死されましたか。ということはhirokoさんは
お父様と 親子で触れあう時間が ずいぶん短かったのですね。
残されたお母様は 苦労して子ども達を育てられました。
藤堂先生の妻に つい置き換えて想像してしまいます。
いよいよ終戦で ♬みどりの丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台
鐘がなりますチンコンカン めーめー子やぎも鳴いてます♬
私も子どものころ歌いました。今でも歌詞ははっきり覚えています。
これから明るい歌を 裕一は作れるでしょうか楽しみです。
エールはコロナのために10回放送が少なくなりました
残念ですね
でも考えてみたら土曜日は一週間の総集編のようなものだからその分も減っていますね
このシーンは ちゃんとロケをしていたのですね。
このドラマを続けて観ている人は だれも涙したと思います。
藤堂先生も 娘のはなが思いを寄せていた 特攻隊に入った
男の子も戦死しました。戦争へと駆り立てる曲を命令とはいえ
数多く作ってきた裕一の苦悩は いかばりかと想像します。
そうですか 敗戦の日の回に 冒頭の裕一と音が浜辺で戯れる
シーンと曲が流れませんでしたか 気が付きませんでした。
ヴィレッジ・シンガーズは若いころ好きでした。汚い格好のグループ
ではなく きちんと正装したスタイルが品よく見えました。
古関裕而氏と顔がそっくりの息子さんは 終戦の翌年誕生したそうで
「エール」が始まってから 福島三羽烏を放送した時や
古関と古賀政男を特集した番組にも出て来られ 父親のことを語りました。
その時ピアノを弾きましたので 息子さんも音楽家かと思っていました。
彼が高校生の時 ヴィレッジ・シンガーズのキーボード奏者として
グループの一員だったようですね。やがて彼は脱会し大学に進学し
グループはその後「亜麻色の髪の乙女」のヒット曲を出したみたいです。
私たちは戦争が終り 平和な時代に生まれ育ちました。今の暮らしの
礎になった 多くの犠牲者に感謝せねばなりませんね。
毎回引き込まれています、
それぞれの場面で考えさせられるところがあります。
奥が深いドラマだなーって思えます。
ヤット再開できたのに
待つていたのは藤堂先生の死
裕一の戦争に対する心の葛藤
良く描写されていましたね。
そうですか予定より短く。。
この先の展開
目が離せませんね。
ぐりさんが言われる通り 土曜日はその週のまとめですから話は前に
進まないし 増々短くなりますね。「麒麟がくる」は私は観てないですが
欠かさず観ている人が言うには 素人が見ても ものすごく無理がある
そうです。麒麟が・・は最初の出だしからエリカさまでつまづき
またまたコロナ被害にあい 散々でしたね。
残り少ない「エール」を応援しましょう 撮影は全部終わったそうです。
北村有起哉さんが出てきましたね。のちに裕一が曲を作ることになる
菊田一夫だと思います。この俳優さんはあまり知りませんが
お父さんが北村和夫さんで 私はお父さんのファンでした。
最近まで再放送があった「おしん」の夫の父親役を演じ おしんに味方
したいけれど 嫁の顔色をうかがう気の弱い舅の役でした。
さ あとひと月少しで と言っても回数は少ないです。エールを送りましょう。
インパール作戦、知れば知るほど無謀で悲惨な戦争。
藤堂先生との再会は感動でしたが、無念の戦死。
悲しくて涙がこぼれました。
家にいる日は、一日に何回も見ます
これからは終戦後の復興の流れですね。
それにしても、誰もが知っているいい曲をたくさん作りましたねえ
やっぱり天才だわ。
息子さん(古関正裕)がヴィレッジシンガーズの一員だったとは…
私も好きなGSでした。
早稲田大学卒業後、日本経済新聞社勤務とは優秀ですね。
退職後、【喜多三】という音楽活動をされて、お父様の曲を演奏されているようです。
来月で終わってしまう【エール】、しっかり応援して楽しみたいと思います。
それにしても随分きつい描写でしたねえ
朝ごはんを喉を通すのがちょっと大変でした^^;
ディセンター訪問でかつて校長先生をされてらっしゃった
99歳の方がいつも戦時歌謡をリクエストされるのですが
ある日「親戚がなあ インパール作戦で戦死したんやけど
あんな地獄の中何も食べられず無駄死にしたと思ったら
かわいそうでなあ」と
この日はびっくりするほどおいおいと泣かれるのにびっくり!
ディセンターではまだ戦争を引きずってらっしゃる方は沢山いらっしゃいます
「同期の桜」なんかもう毎回リクエストされるのですが
こんな悲惨な歌詞に何でみんながあんなに手拍子しゃんしゃんで
楽しそうに歌うのか毎回胸が詰まるやら 不思議やら(。ヘ°) ホエ?
古関さんの曲はやはりよくリクエストされてますよ^^