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歴史として、実際にあった事件や事柄を映画にした作品は非常に多い


そして、一時期アメリカがベトナム戦争を描いた作品を、これでもか

先日、僕の会社ではべトナムにも工場を建設するが、そのベトナム人の人が研修に来た際に、いろいろとベトナムの事を教えてもらったけれど、アメリカ映画のベトナム戦争映画は、そのベトナム人に言わすと、アメリカが制作したベトナム戦争を描いた映画は緒戦アメリカから観た視点で、事実は描かれていない


そして、2000年間中国と戦争してきた事にも触れていた



そういう意味では事実を基にした映画を観る時は、その映画が事実だと簡単に鵜呑みにすると、大恥をかいてしまうことがあるだろうね

そして、今回は監督はローランド・ジョフィ


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そして、今回はカンボジアの内乱を新聞記者たちが、取材しようとするが、その主に二人の新聞記者(アメリカ人とカンボジア人)の国を超えた友情、そしてカンボジアという国の悲惨さを描いた、力作だ

1973年、アメリカ人のニュー・ヨークタイムズのジャーナリストであるシドニー(サム・ウォーターストン)が、カンボジアの首都プノンペンにやって来た



当時カンボジアの情勢はアメリカを後ろ盾にした、ロン・ノル政権と革命派の反米、救国を名目にしてクメール・ルージュとの戦いが表面化していた

そして、結局は革命派のクメール・ルージュが勝ち、カンボジアに平和がもたらされたと思ったのだが、クメール・ルージュはとんでもない独裁者であった。救国どころか、大量殺戮はドイツのヒットラー、アフリカのインディ・アミン(ラストキング・オブ・ザ・スコットランドで映画で描かれています、08/01/21の、ブログに掲載)に勝るとも劣らないね

そして、シドニー(ウォーターストン)、アメリカ人の写真家ロックオフ(ジョン・マルコビッチ)、イギリス人新聞記者ジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)そしてディス・プラン(ニョール)は、病院へ取材に行こうとするが、新政権のクメール・ルージュ軍に捕まってしまうが、ディス(ニョール)の機転によって、4人はフランスの領事館へ逃げ、そしてディス(ニョール)は自分の妻と息子たちを、アメリカへ逃がす。ディス(ニョール)は新聞記者をして、カンボジアに立ち止まる決心をするが、結局4人は逃げなければならないが、カンボジア人のディス(ニョール)は、他の3人が命の恩人であるディス(ニョール)も外国人に仕立てて、アメリカへ逃げようとするが、結局ディス(ニョール)はカンボジア人ということがばれて、そのまま姿を消してしまう

その後アメリカに逃げたシドニー(ウォーターストン)たちだが、1976年シドニー(ウォーターストン)はカンボジア内戦の実態を伝えた功績を認められ、ピューリッツア賞を受賞する。


一方、ディス(ニョール)はカンボジアでクメール・ルージュ政権の下、農作業をさせられている

医者、あるいは先生と呼ばれる人間は、後の反乱を恐れて、殺されるし、子供達が銃を構えて、大人を撃つ



しかし、やっぱりそんな圧制をしている、クメール・ルージュの政策におかしいと感じる部下も出てきた

ついにディス(ニョール)は隙を見て逃げ出す

ディス(ニョール)は途中でいろんなことに遭ったが、運が良かったのだろう


そして、いつもディス(ニョール)は必ず生きていると信じていたシドニー(ウォーターストン)は、難民キャンプに駆けつけ、二人は再会を喜び合う

シドニー(ウォーターストン)はディス(ニョール)に言う許してくれ
それに対してディス(ニョール)は許す事など何も無いよ
ジャーナリストの勇気にも感動したけれど、国境を越えた友情をこれほど感動的に魅せられた映画は、今まで無かったね


カンボジアのポル・ポト派の残虐行為は許されるべきではありませんが、この非はアメリカや、中国にもあることを忘れてはいけない。ベトナム戦争の火花が、カンボジアにも飛び火したのだから、この世から争いごとがなくなることを、ただ今の僕は祈るのみです


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