褒めまくる映画伝道師のブログ

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映画 キリング・フィールド(1984) カンボジアの内乱を取材するジャーナリストに感動

2008年07月19日 | 映画(か行)
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 歴史として、実際にあった事件や事柄を映画にした作品は非常に多い例えば、アメリカはローマ帝国を舞台にした名作(ベン・ハー、スパルタカス、グラディエイター等)しかし、実際の所、事実どおりに制作となるとやはり難しい。ローマ帝国の時代なんて紀元前の出来事を映画にしたりするが、そんな昔の時代を映画で正しく事実を表現するのは、無理があるだろう
 そして、一時期アメリカがベトナム戦争を描いた作品を、これでもかと言うぐらい制作した時期があった。
 先日、僕の会社ではべトナムにも工場を建設するが、そのベトナム人の人が研修に来た際に、いろいろとベトナムの事を教えてもらったけれど、アメリカ映画のベトナム戦争映画は、そのベトナム人に言わすと、アメリカが制作したベトナム戦争を描いた映画は緒戦アメリカから観た視点で、事実は描かれていないと言っていた
 そして、2000年間中国と戦争してきた事にも触れていたちなみに、ベトナムは3回も(今のモンゴル、ジンギス・カーンだね)に攻められたことを言っていた僕も、日本は元(今のモンゴル)に2回攻められたと教えておきました
 そういう意味では事実を基にした映画を観る時は、その映画が事実だと簡単に鵜呑みにすると、大恥をかいてしまうことがあるだろうね

 そして、今回は監督はローランド・ジョフィ彼の映画ではミッション(ロバート・デ・ニーロ、ジェレミー・アイアンズ主演)という南米を舞台にした宗教活動の厳しさ等を描いた力作がある
ミッション

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 そして、今回はカンボジアの内乱を新聞記者たちが、取材しようとするが、その主に二人の新聞記者(アメリカ人とカンボジア人)の国を超えた友情、そしてカンボジアという国の悲惨さを描いた、力作だ
 1973年、アメリカ人のニュー・ヨークタイムズのジャーナリストであるシドニー(サム・ウォーターストン)が、カンボジアの首都プノンペンにやって来たそこで、待っていたのがカンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョール彼は新聞記者であり、そしてシドニー(ウォーターストン)の通訳兼ガイド役を引き受けてくれるのだった
 当時カンボジアの情勢はアメリカを後ろ盾にした、ロン・ノル政権と革命派の反米、救国を名目にしてクメール・ルージュとの戦いが表面化していた
 そして、結局は革命派のクメール・ルージュが勝ち、カンボジアに平和がもたらされたと思ったのだが、クメール・ルージュはとんでもない独裁者であった。救国どころか、大量殺戮はドイツのヒットラー、アフリカのインディ・アミン(ラストキング・オブ・ザ・スコットランドで映画で描かれています、08/01/21の、ブログに掲載)に勝るとも劣らないね
 そして、シドニー(ウォーターストン)、アメリカ人の写真家ロックオフ(ジョン・マルコビッチ)、イギリス人新聞記者ジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)そしてディス・プラン(ニョール)は、病院へ取材に行こうとするが、新政権のクメール・ルージュ軍に捕まってしまうが、ディス(ニョール)の機転によって、4人はフランスの領事館へ逃げ、そしてディス(ニョール)は自分の妻と息子たちを、アメリカへ逃がす。ディス(ニョール)は新聞記者をして、カンボジアに立ち止まる決心をするが、結局4人は逃げなければならないが、カンボジア人のディス(ニョール)は、他の3人が命の恩人であるディス(ニョール)も外国人に仕立てて、アメリカへ逃げようとするが、結局ディス(ニョール)はカンボジア人ということがばれて、そのまま姿を消してしまう
 その後アメリカに逃げたシドニー(ウォーターストン)たちだが、1976年シドニー(ウォーターストン)はカンボジア内戦の実態を伝えた功績を認められ、ピューリッツア賞を受賞する。しかし、彼は言うこの功績はカンボジア人のディス(ニョール)の功績が半分はある
 一方、ディス(ニョール)はカンボジアでクメール・ルージュ政権の下、農作業をさせられている
 医者、あるいは先生と呼ばれる人間は、後の反乱を恐れて、殺されるし、子供達が銃を構えて、大人を撃つ何もわからない子供たちを、将来のクメール・ルージュ政権の基盤としているみたいだねそんなこともあり、フランス語や、英語を話すことが出来て、新聞記者という事をディス(ニョール)は、ひたすら自分のことを隠す
 しかし、やっぱりそんな圧制をしている、クメール・ルージュの政策におかしいと感じる部下も出てきた
 ついにディス(ニョール)は隙を見て逃げ出すその時人間の死体というより、人間の骸骨がゴロゴロ落ちているところを逃げるシーンは、クメール・ルージュ政権の恐ろしさが伝わってくる。
 ディス(ニョール)は途中でいろんなことに遭ったが、運が良かったのだろうタイの難民キャンプに辿り着いたもうその時は1979年だった。
 そして、いつもディス(ニョール)は必ず生きていると信じていたシドニー(ウォーターストン)は、難民キャンプに駆けつけ、二人は再会を喜び合う
 シドニー(ウォーターストン)はディス(ニョール)に言う許してくれ
 それに対してディス(ニョール)は許す事など何も無いよ
 ジャーナリストの勇気にも感動したけれど、国境を越えた友情をこれほど感動的に魅せられた映画は、今まで無かったねこの映画も恐らく良いように脚色されているかもしれないが、事実を基にした映画です。
 カンボジアのポル・ポト派の残虐行為は許されるべきではありませんが、この非はアメリカや、中国にもあることを忘れてはいけない。ベトナム戦争の火花が、カンボジアにも飛び火したのだから、この世から争いごとがなくなることを、ただ今の僕は祈るのみです

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