昔から「母は強し」といいますが、今回帰省して、母の強さにあらためて脱帽しました。昨年故郷へ帰ったときは、あまり喋らず、衰弱した様子でした。一年ぶりに見た母は、顔色もよし、前よりも元気になった様子で一寸びっくりしました。本当に良かった!これすべて義妹(母からいえば、嫁)のおかげです。感謝しています。
歌を唄ってよ、「もしもし亀よ」がいいと云いましたら、最後まで唄ってくれました。この歌、ほんと単純、簡単な歌だと思うのですが、私なかなか最後まで覚えられません。今思い出しても、3番、4番となるとあやしくなります。あとでインターネットで歌詞を調べてみようと思います。
母の実家は農家です。昔、農家の娘は女学校へ行かせてもらえなかったようで、いつもその話が出てきます。発奮して検定試験を受け、学校の先生になった話。県境の山奥の小学校へ単身赴任、下宿住まいだった話。そのうち親父(私から云えば母方の祖父)に呼び戻され、嫁に行った話などなど。
私の父は93歳で亡くなりました。私が若いときは、「母は何故に、このような男と結婚したのだろう。(正確に云えば、結婚させられたのだろう)もう少しましな男がいくらでもいたはずなのに」と思うことしきりでした。私の親父は人の顔を見れば、二言目には「勉強せい、勉強せ」でしたから。
歌を唄ってよ、「もしもし亀よ」がいいと云いましたら、最後まで唄ってくれました。この歌、ほんと単純、簡単な歌だと思うのですが、私なかなか最後まで覚えられません。今思い出しても、3番、4番となるとあやしくなります。あとでインターネットで歌詞を調べてみようと思います。
母の実家は農家です。昔、農家の娘は女学校へ行かせてもらえなかったようで、いつもその話が出てきます。発奮して検定試験を受け、学校の先生になった話。県境の山奥の小学校へ単身赴任、下宿住まいだった話。そのうち親父(私から云えば母方の祖父)に呼び戻され、嫁に行った話などなど。
私の父は93歳で亡くなりました。私が若いときは、「母は何故に、このような男と結婚したのだろう。(正確に云えば、結婚させられたのだろう)もう少しましな男がいくらでもいたはずなのに」と思うことしきりでした。私の親父は人の顔を見れば、二言目には「勉強せい、勉強せ」でしたから。