春の宵は、何処となく薄闇から、何やら姿を現しそうで、じっと眼を凝らしてしまう。其処に居る物には、悪さをしようという気がないから、怖さはない。目の前に出て来るからには何か、理由があるのだろう。その気持ちをわかってくれるまで、じっと佇む。
図書館に行く。レ・ミゼラブルの延長をするためだ。予約がないからいいです。と、貸し出してもらう。そうっか。活字の多い、書籍を読むのは、変わり者になるらしい。そうかなぁ、本の中に入り込むことが、どれだけ愉しいか、知ってみたらわかるんだが。
仕事で、営業用の顔をしていると、とても疲れてしまう。家に帰ってまで、ざわつくテレビをつけて観ようとも思わない。煩いだけだ。それに、テレビの前に座ると、編み物か針仕事、或いは何かをしていないと、退屈してしまう。何もせずに居ることは苦痛だ。
また最近は、観たいと思う番組が少ない。無いに等しい。加えて、じっとして居られるほど、時間を持て余すこともない。自分のためでなかったら、誰かのためにしておこう、あの人にはこれを用意しておこう。これとこちらも。等と、自分勝手に店を広げる。
誰もいないから、淋しいからテレビをつける気にはならないのだ。独りになるとほっとする。煩わしさも、騒々しさもなく、食事を戴き、明日の準備をして、PCの前に座る。珈琲を飲み過ぎると、眠れなくなる。と思うが飲む。無農薬なので美味しい。
友人が偶に来るが、これが何時もだとうんざりする。自分の時間を割いてまで、話をしなければならない理由も無いからだ。然し、書籍のことや、それらに関する情報だと、何時間あっても足らない。趣味が合えば、愉しさも倍増する。世間には疎い。
リエさんを始め、サンタさんやりささん、共通のことは本に関係ある。本好きが、たまたまのご縁で、枇杷葉を通じて知り合い、そこから再び、珈琲や鍼灸へと広がっていったのだ。何という摩訶不思議な出会いであることか。偶然からの奇縁です。
白枇杷の花芽。今年は、思いの外、たくさんついた。薄茶色の苞が、除々に開花していく。気づかぬような香りだが、体中を包んでくれる。