耳が痒くなると、雨が降る。誰のって、私のです。その痒みも様々で、我慢がならなくなると、大雨であったり、何日も続く。急に痒くなると、時雨・にわか雨・通り雨、夕立などがある。時々聞きなれなれない金属音がするのは、宇宙からの声か。
昨日の、親指の怪我の情況は、包帯をして風呂に入ったので、治りが早い。塩を換えて、包帯をし直した。傷口は赤く見えるが出血はない。親指も付け根の辺りなので、ゴム手袋をすれば洗い物はできる。痛みは全くないのも不思議。
病院が苦手、医者も嫌い。薬は尚更信用しない。こんな簡単な怪我で、病院に行って、何をしてもらうのだろうか。そりゃ、傷口に塩をつけるのだから、沁みない訳はないが、自然の力を借りることは、体の免疫や抗体を壊さないことにもよる。
自分の体のことは、己がよく知っている。例え明日までの寿命でも、神さまのお決めなったことだ。輪廻転生とも云うが、神の意思により生まれ変われば好い。何事も、宇宙の取り決め、森羅万象に於いて、生命の判断があるというもの。
レ・ミゼラブルを延期してもらう。その中に、今回のローマ法王の退位問題を、当時のユゴーが書いている件があった。名作とは幾年の時代を越えても変わらず、また自由な言論もそこにはあったのだと、衝撃を受ける。感動を覚えた。
信仰の自由は元より、宗派も信心の心も違うが、キリスト・釈迦如来・親鸞・西行・空海共に、心にあったのは、宗派を越えた宇宙のことなり。自然への畏怖の念。人間が逝き付く果て。また再び生まれ変わること。ああ・無情とは、己の心のあり方か。
中学生で読んだ、内容も訳でさえ、それが真実と疑わなかった頃。今、時を経て、完訳本を読めることは、限りない幸運であるのだ。深い愛と信心を、実際には持ち合わせてはいないけれど、体中を駆け巡るこの想いには、電流が走る。
青空にすっきりと伸びる枇杷葉。一昨年、枝を伐られてびっくりしたのか、たくさんの新芽が吹き出した。東・用水路の方角。手前は白枇杷。