早春賦、とはよくいったもので、晴れていたかと思えば雪である。立春からお彼岸辺りまで雪花が舞う。奈良・東大寺の二月堂のお水取りが済み、心急く季節になっていく。だが、東北地方の雪は、信じられない現象に転じた。不幸中の幸い。
自然現象にも、人間の油断がある。侮っていると、命を落とす。古来、未発達な文明では、神の領域で畏怖の念があり、誰しもが自然からの声を聴いていた。古人は風の向きを、雲の様を、星の動きを、月の満ち欠けと、満干潮を視ていた。
科学も医学も進歩して、きれいで新しい、明るく住み良い世の中に変わっているのに、何故、自然だけはわからないのだろう。知っている心算の自然に、事ある毎にしっぺ返しをされる。危険を回避させているようで、更に危なっかしい。
今日は、嫁の誕生日であるが、一日早く日曜日にした。例に依って手巻き寿しだ。寿し飯が美味しくないと食べてくれない。砂糖・塩・酢、をいつもの如く混ぜていった。具は、ハム、沢庵、シーチキン、菜の花、卵、梅肉である。
何時ものことだが、孫たちは頬張り、喋る。それにしても、成長期なのだ。上の孫が、びっくりするくらい、よく食べてくれた。トランプのばば抜きに、大騒ぎをする。あっという間に時間は経ち、孫等は帰って行った。静かになり、ほっとする。
先週は、自分の都合もあったので、6連勤であった。息子の家族や、娘夫婦が居なくなると、途端に疲労感が襲う。何もする気がなくなり、暫しぼうっとしていた。ストーブを点けていたのが眠気を誘う。曇っていた空に、太陽の光が溢れた。
今朝は、早出のため、10時過ぎにはPCを止めた。風呂に入り、親指の塩を仕替えて、寝床に入る。図書館で借りた、レ・ミゼラブルを読み、ページ数が進まず断念。朝の珈琲で目覚めた。サンタさんからの珈琲は格別である。
茂木・赤枇杷。自然に倣うと、人間の思う様には生らぬ事がわかる。それでも、幾許可の願いで熟れるのを愉しみにしている。