枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

おおっ、花芽が

2016年09月09日 | Weblog

 枇杷葉の生葉を採っていたら、何やら中心が膨らんできている。あちこちに苞が出てきてとてもうれしくなる。生葉も、硬くていいのがたくさん採れ、有難いことである。午前中、買い物があったので出かける。夕方には、勤務先の話し合いがあり、落ち着かない。

 昼餉を戴きながら、珈琲を沸かし、珈琲寒天を作る。勤務先での話し合いに持参するのだ。買えばいいのかもしれないが、どうも苦手である。添加物にも、その他の化学物質にも、遠慮したいので、食べてくれる人には上げればいい。時間までに固まるか?

 明日は、中学生の孫の、最後の体育祭だ。巻き寿しを作ろうと、材料を買いに行った。その翌日は、勤務先での散らし寿しである。牛蒡と隠元を入れよう。干瓢を戻しておき、胡瓜も揉んでおこう。簡単ではあるが、連日の寿しは厭きる。否、作る方としてです。

 布団を干し、洗濯物も広げて、秋空の下、爽やかさを感じる。来週は、小学校のがある。こちらは、統合で最後の運動会。生徒数が居なくて、複式なっているが、このままではいけないのか疑問が生じる。役場が勝手に決めて、児童の気持ちには添わない。

 図書館に返却に寄り、内田康夫の著作を借る。全作品を読戸決めたので、後少しになった。十数冊は下らないのもあって、いささか閉口したが、歴史的な配慮には感心した。尤も、出鱈目を書こうにも、書きようがないだろう。新聞記事を読めることも分った。

 文明の利器と、直感と、新聞に残っている記事。事実と疑問点。謎解きの面白さだろう。現代の話だから、書かれていることには疑いを持たないが、偶然にして、その場所に行った時、思い出すのも愉しいか。古典には及ぶべくだが、時間潰しにはなるものだ。

 末吉暁子さんの、ぞくぞく村のシリーズが、遺稿として出版されるようだ。あのシリーズは、個性豊かなキャラクターで、どの話も大好きだ。世の中の嫌われ者が、主役なのも面白いのだ。ミイラや、ドラキュラ等気味が悪い。それが心を打つのは、作者の温かみ。

 白い薔薇。今朝も、ふと眼に飛び込んできた空の青さとに、くっきりと鮮やかに咲いている。穢れなき薔薇。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする