枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雨の朝・・・

2016年09月13日 | Weblog

 瞬間雨量が、15mm位か?激しい雨音に、ぎょっとする。そろそろ満月も近いので、地球の自転位置や、月との引力の関係で、被害の差が出る。暦を見れば、一目瞭然であるから、テレビ等観なくても、状況は把握できるもの。テレビを観てて逃げ遅れる。

 以前に、何日も雨が降り続いて、広範囲に亘って、浸水した経路がある。梅雨時のことだから警戒を怠った訳ではないが、水位の上昇に、河川が捌けなかった。とどのつまり、逆流した濁流が、町に流れ込んだ。溢れるのも一気にだったが、直ぐに引いた。

 病院も、高校も、役場も、駅も、凄まじい有り様になり、暫くは、戦後の悲惨さを感じた。と言う方も現れた。救急ボートが出動して、助かった女将さんは、電信柱の天辺に摑まり、ずぶ濡れだったらしい。漏電にならず感電死を逃れたが、生きた心地はない。

 自宅で、用水路を眺めていると、田も道路も境はなく、大海原になる。鰻や鯰が上って来ると出かける輩もいて、田舎ののんびりとした風景。何時もなら、翌々日には晴れるのが、明けても暮れても雨ばかりの日々。異変が起きたのはその直後であったよ。

 川が豹変したしたのは、生活用水の汚泥と、日頃からの清掃を怠っていたからで、浸かった町の様子は、ヘドロに埋まっていた。便利であることの裏返しに、自然への警告と思わないでいる連中も多く、見た目さえ良くなれば、忘れてしまう。人為的災害。

 戦争の悲惨さを、経験している世代は、平成になって随分と減った。知らない者が、利益優先で遣れば儲かることだろう。自分の意思でなく、機械を操ってするのなら、痛くも痒くもない。如かして、殺人を犯すのは同じことだ。ターゲットが民間人というのも。

 自然から学ぶことは、人間であるならできるものだ。どんな小さなことにも関心や興味を抱いて、不思議なことを観ていきたい。自然を破壊するのは簡単だが、元の状態にするには、その数倍以上もかかる。やさしい心を失わない、生き物でありたい者です。

 テイカ蔓が、白い滝のように流れる。今年は、ばっさり切られてないが、田舎の沿道には、他の場所に咲いている。

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