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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

百舌鳥の声・・・

2016年09月06日 | Weblog

 休日の安眠を蹴破る、裏の子どもの泣き声に、またかと起きる。親の怒鳴り方が気に入らない。煩いって、そりゃ違うでしょう。近隣の住人に対して、配慮したり、子どもへの愛情度合いを疑う態度だわよ。保育所に行くのに、よくもまあ毎朝、同じ事を繰り返す。

 わが息子も、親になろうとする努力が足りないことに、つくづく思い至る。二十歳を過ぎたら、年齢的には大人だが、精神面は自分で修行してもらいたい。どんな苦難にも、試行錯誤する努力を惜しまず、他人のせいにせず、謙虚さを失わない生き方は、無理か。

 早朝の布団の中で、下手な考え休むに似たり、と重い身体を引きずる。世の中の風潮が、自分本位なのは、沖縄基地の移設にしても、原発の再稼動や、停止にしても変わりない。エコでなくエゴ丸出しの人類の心理だ。新しい台風が発生して、蒸せること頻り。

 百舌鳥の声が、聴こえたようだが、秋の到来を思わないではいられない。サトウハチロウ・小さい秋みつけたに、心が揺れる。著名人の死去には、関心が浅いが、先般亡くなった、末吉暁子さんには、とても親しくしてもらっていたので、未だに信じられない想い。

 がんこちゃんとの想いにも、著作への拘りにも、少なからず、お逢いした時の状況が偲ばれてしまう。あの特徴のある話し方や、姿が瞼に残っていて、何度も胸が塞がる。特に、髪の資質には、似ていることが多く、同じちじれ毛であるkとを、何かの時に話された。

 枇杷葉のこともだが、通草に関しては、幼い頃に花や匂いに想い出が重なったそうだ。絶筆となった作品にも、通草のことを書かれていた。その文章には、死期の近いことを悟った想いが窺われて、一日でも長くと祈らずにはいられなかった。胸中は慮るばかり。

 秋空に、青々と繁る枇杷葉だが、中心を見ると、膨らんできている苞がある。自然の季節の廻りには、刻々と転じる時間が備わる。人間にも、或いはそういった時が、明確にあるのかもしれない。我が身のことばかり佳いとするから気づかない。大いに反省する。

 白いスプレーバラ。花屋さんでは、咲いて終われば枯れる、のが条件らしい。何年も、咲かれると買ってもらえないので。

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