枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

よろこんでもらえること・・・

2016年09月02日 | Weblog

 夜勤明けの同僚が、枇杷葉茶を取りに寄る。と言うので、変わりばえはしないが、鮨をした。材料は、庭にある青紫蘇と赤紫蘇、梅肉、〆鯖、海栗、鮪である。わざわざ買いに行く店も遠くて、適当に用意する。鮪は、昨夜からタレに漬けておいた。

 何時も通に起きて、珈琲を挽いて淹れ、新聞を丹念に読んでいたら、9時を回っている。それから程なくして連絡があり、これから行きますとのこと。慌てて布団を干し、身仕舞いを整えて待つ。うれしそうな顔でやって来た同僚。いただきま~ぁす。

 握る端から口にしてくれるので、それもうれしい。どんなに作っても、当たり前という態度では、気分を害するが、こんなによろこんでくれると、本当にうれしい。これ以上は腹に入らない、と言うほど握って落ち着く。枇杷葉茶も沸かして、持ち帰らせる。

 食後のデザートに、枇杷を寒天で固めたのを作っていた。これは、子どもさんのもあるが、と言うとにっこり。お接待というか、招待する立場としては、最高のお客さんである。どんな高価な物よりも、誰かに心を込めて、できることの幸せを感謝する。

 台風が接近しているそうだが、進路状態や、潮の状況や、月のなり方に注意しよう。引力の関係も無視できないので、宇宙を気にしよう。その土地の宇宙には、独特の条件がある筈で、幾らテレビが伝えても知らないことがある。自分の感を大切に。

 庭では、胡瓜が最後とぶら下っている。トマトも、もう少し生っていて、赤く熟れている。無農薬のは、本当に美味しい。蕎麦の花も盛りで、そろそろ実を結んできている。枇杷葉の葉も、青々として収穫を待つ。百日紅が、高い木の上で花を咲かせる。

 季節は廻るものだが、自然は状況を察知して、生き延びる方法を示す。小さな変化に気づかないのは人間ばかりだ。他人を貶めたり、殺めたりは日常茶飯事で、相手が誰であれ、自分より弱いとみれば、執拗な虐めを繰り返す。殺人ゲームなのか。

 昨年の蕎麦の花。満開時の素朴さには、これが蕎麦の花か?とも思える。未だ、食べる段階には至らず。

コメント
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