今朝の新聞に、施設の方が被害に遭ったことが報じられていた。何処の施設もだが、夜勤者は定員の9人では1人だ。認知症状での被害の拡大に、胸が塞がる。勤務先でも、防災訓練はやっているが、先ずは助からないだろう。避難すると言っても、逃げ場がない。
外は雨と風である。道路には水が氾濫している。その状態で、認知症状のある方が、正常に判断できる可能性は低い。加えて、夕方から夜間にかけて、恐怖心が強くなる。それを職員が一人になった時点では、救えないのは分りきっている。適切な判断もないもの。
同じ介護の業務であるから、尚更に同調できる。家族は、施設に預けた時点で、そういった災害に対して、覚悟をしていてもらいたい。親の扶養を放棄しているのだ。金銭的なことだけではない。施設の職員が、心底世話をしていても、自然の驚異からは逃れられない。
施設に預けるのが、強ち悪いことだとは思えないが、自分達の生活の基には、親がいたことを忘れないで。何処に居ても、案ずる想いは自由だ。姨捨山のような孝行息子にはならなくても、人間としての心を失わないでいてほしい。自分の命は、宇宙と親からのもの。
旧暦を活用していれば、被害は抑えれたのかもしれない。様々な要因が合わさった上に、大潮になり、朔日に近かった。地球と月との引力の関係も、見逃せない。今年の、二百十日も加わっていた。自然からの警告でもあり、人間の慢心への警鎮でもあるのだから。
人間は偉くも何ともない生き物で、嫌ったり厭がる物等に援けられている。そういったことに気づき、自然への畏怖の念を、心にしっかりと刻んでおこう。お金がなくては何も買えないが、紙幣の基は、三椏や楮であるのだ。加工しているのは人間でも、自然の中にある。
友人が来る。糠を持って来てくれたので、朔日なので直ぐに入れる。実際には、時期が中途半端なのだが、そのままには出来ないので。何時も話しているのに、大切なことを聴き忘れている友人にがっかり。こちらの真意が通じない相手も、世の中には多いものである。
白いランタナ。枝振りがよく繁っている。小さな花なのだが、秋になっても衰えず、花を咲かせる。