鰯雲の、広がる空には程遠いが、抜けるような蒼さに、背筋が伸びる。このところ晴天続きで乾燥しており、風がなかったら、暑さを凌げない。とはいえ、葉月になった時点で、気分は秋と捉えているから、朝夕の気温の変化はありがたいこと。
昨日の、孫の体育祭観覧を終え、娘を自宅まで送り届け、帰宅してぐったりした。ブログの更新も済ませ、珈琲を飲みながら、今朝の散らし寿しの段取りをしていた。実に、次々と用事が増える。巻き寿しが余ったのを、知人に取りにきてもらう。
何でも、外食に行っても、少しも美味くない。とのたまう。まあ、売り物とは違うわな。米は、朝日米、酢飯は独断の味付け、加えて心を込めてしているのだから、美味しくない筈がないわ。然しながら、考えようと言うか、思いようにも依るんだが。
何事も、当たり前ではない。感謝する気持ちが大切だろう。息子など、当然と言うか、またかという眼つきでは、食べてやっている傲慢さしかない。自分で作れない物は、作れるように努力をすればいい。或いは、何処が違うのか、噛み締めて戴く。
悪い事は、直ぐに覚えるが、佳いことには消却的であるのが、理解できない。基本的に、料理は嫌いだが、美味しい物は食べたい。そうすると、ちょっとした工夫が必要となり、学んでいかねばならないのだ。毎日の試行錯誤も、愉しい時間だ。
手弁当どころか、持ち出しなことが多い。商売をしている訳でもないので、お金はもらえない。材料費はあるが難しい。然し、約束は守らねばならず、出来合いの物は避けたい。従って、自分で作ることになり、多めにして行くこととなってしまう。
まあ、いいじゃないの。複雑な想いにもなるが、美味しければと思う。今を生きていることが、明日に繋がるのかもしれないが、一日を精一杯にできれば、感謝に価する。これも枇杷葉のお蔭で、自分を生かされていることに気づけたのだから。
テイカ蔓。今年は、ばっさり切られて、一片も見えない。この時期、白い花がやたらと眼につく。芳香も強い。