今回の台風は、九州に上陸らしい。そこには、原発の稼動場所があり、最悪時には、地震と津波に襲われることも。まさか?と言う思いには、必ず慢心が付いている。認知症を預かる施設では、非常事態の想定にも気を配ろう。水嵩が増したら、屋根に。
意志の疎通が難しい方も居て、緊急時には指示が上手く伝わらない。生死を分けることが数秒の差であっても、不可能な事態が起きる。施設の殆んどの職員は、自分のことよりも、高齢者の方を優先するが、判断に苦しむ場合もある。援けられない事も。
家族は、職員に介護の業務を任せても、苦渋の判断には、責任を押し付けないで。本当に大事な親なら、自分が助けにくればいいし、あらゆる状況を判断して、そこまでの任務は出来ないもの。でも当事者なら、どんなにか心の傷も深く、挫折感は否めない。
この仕事をしていて、高齢者であるから、何れは死に向かうのは分っているが、仕事でする場合と、何がしかの感情とでは、大きな隔たりがある。相性と言えばそれまで、然しそれ以上に、縁の深さを想う。そんな想いで接した方には、泣くまいとして溢れる。
叶わぬことには違いないが、思わず、眼を開けて。何か言って。と泪は滂沱と溢れる。自分の親ではないが、人間としての感情が胸を揺する。哀しみの根源は、人としての逝き方にも通じる。同時に相性の問題もままあるが、泪が止まらなかったこともある。
でも。哀しみが深すぎたら、心が真っ白になって、泣くことさえ忘れてしまうのかもしれない。何よりも大切な人を失うことは突然遣って来る。そういったことを、或いは何所かにあっても、その日の来るのを、一日でも先にしたい。生かされていることに感謝する。
枇杷の種を、あちこちに植えているが、発芽しても育ちが悪かったり、枯れてしまったりする。これは3年目。