枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月、秋分の日・中潮

2016年09月22日 | Weblog

 二十四節気 秋分 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。実際には、昼が少し長い。暑さが遠のいて来る頃でもある。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。天気になるかと多少の期待が、雨となった。

 扁桃腺も、どうにか落ち着き、温かくしていれば、熱も出ない。枇杷葉の生葉を当て、あけび酒を含みながら、現状を保つことに撤する。余分な外出は避けることと、大勢の人が出入りする場所には近づかない。コンビニ等以ての外です。洗濯物が乾かない。

 先週からだから、これは秋雨前線だろう。秋の空の特徴だから、時期が過ぎれば、快晴が戻る。台風の生まれる回数も、葉月が多い。中秋の名月とは、長月の頃を指し、芋名月とも、栗名月とも云われる。新暦での呼び方には、こじ付けと無理が生じるもの。

 枇杷葉の中心が、膨らんできている。今年もたくさん付くようだが、結実しない木もあるので、花芽茶に採ろう。それにしても、白枇杷の鈴生りには、びっくりするばかり。樹も、随分と育っており、屋根の高さに達する。脚立に上るには、骨が折れるので剪定だ。

 今年は、雨の多い日が続いて、鉈豆や唐辛子が腐ってしまった。昨年は、こうはならなくて、油断をしていた。かといって、冷蔵庫に入れるのも駄目で、こちらは凍ってしまう。雨も無くては困るが、溜める容器も場所もない。自然は待ってくれないことに気づく。

 知人が、握り鮨を食べたい、と言う。回転寿司に行ったが、美味しくなかったそうだ。そりゃ、自分の好きなネタばかり口には出来ないでしょ。懐と相談して食べるのと、気儘に握ってもらっては、大きな違いだ。無論、料金の請求も無いよ。贅沢な悩みでしょうが。

 江戸前鮨を、誰に気兼ねもせず戴いてみたいもの。然し、移転先の豊洲があれでは、ネタが怖くて。石原慎太郎の逃げが、臭い演技に笑止。その状況が来ることを想定して、知事を投げ出したんだろう。明らかな税金の無駄遣い。年金で返却してはどうかな?

 毎年、晩秋に咲いていたのが、次第に早まって、彼岸前後に見え出した。当たり前のこととなると誰も止まらない。

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