枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、望・大潮、眠り姫に

2017年12月04日 | Weblog

 薬の副作用に、ふと頭を翳めたのが、お馴染みの眠り姫の話。糸車の先に、魔力があったのも頷けるが、きっと相当に強い薬草が塗られていたんだろう。と今更ながら想う。薬は怖い、という懸念が消えずで、眠ったら目覚めないことになる。

 そりゃそうですよ。若くて美しいのなら兎も角、皺くちゃの婆さんでは、誰も起してはくれませんよ。放置されるか、気づかないで寿命になるかです。Drのせいではなく、わたくしの特異体質がもたらしたことで、際どい選択でもあった。冬の怪談。

 今朝は、曇り空で起きたのはいいが、調子が出ない。それでも洗濯だけは済ませ、午後から職場に出かける。日曜・祭日の献立をコピーし、職場と栄養科への提出をする。休んだことを心配する者と、非難する者の差に、年齢を重ねねば分ず。

 当人でさえ、扁桃腺炎がここまでなるとは思ってなく、体力・気力の衰えに呆然としている。これまでだと簡単に治り、職場での勤務も差支えなかったのが、還暦を越えての油断に、我が身の一大事を知った。元気で居たいが、そうもいかぬな。

 かといって、病院に罹るのも辛い。陰気臭くなって、そこから抜けられないもので、自然治癒能力を信じて、今後の余生を送りたいのだ。身体を知っておくのも大切で、過信をしないで遣りたいもの。予測不可能にならないように、今後は気をつけ。

 施設の向かいに、小学校の恩師が居て、先日来枇杷葉の生葉を持って行き、全身打撲にあげていた。帰り道見かけたので問うと、涙を零して感謝された。歳を重ねて心細くなっていた挙句で、何度も頭を下げられた。身体が軽くなったとの事。

 枇杷葉の苗木も差し上げているので、植えたとか話す。いずれにしても、早い段階での治療には効果が大きい。加えて、こちらを信じてくれたのもうれしい。恩師と云えど、小学校時代の担任と言うだけのこと。目の前においでなのを無視も否。

 お金がたくさんあって、生活に不自由も無く、したい放態、遣りたい放態では、こういった窮状は理解できまい。我が身さえ良ければいいので、逃げるわ、だんまりを決め込むわ。悪いという自覚が全くない。自分さえ良ければ、正しいとも思うの。

 今年も、12月を切った。つい先日のような月日の経ち方に戸惑う。誰しもが、何時も思っている訳ではなさそうで、その日が終われば、どうということもないらしい。原発の稼動しない、世界で戦争の無い、地球へとなってくれるよう祈り、願う一日。

 美しい惑星と恒星である。こういう表記をすると、学問的な印象だが、ヴィーナスとセレネと書けば宇宙のロマンが。

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