枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

煤払い・・・

2017年12月13日 | Weblog

 昭和の時代では、家族総出で、畳を上げ外に運び叩く。板敷きの上の新聞を換え、立掛けて太陽に干した畳を元に戻す。襖の破れを綴り、障子を張替え、敷居の塵を払う。祖母の段取り指揮の下、両親も孫等も、汗だくの埃だらけで働いた。

 籾摺りをした後の籾殻を焼いた庭は、黒く汚れていて、筵を敷いていても隙間に見え隠れしている。冬の陽は遅く出て、早く陰る。その頃の服装は、豊かな物ではなく、ジャンバーでもあれば好い方で、じっとできない寒気が襲う。霜焼け・皸に。

 あの頃、何を食べていたんだろう?半農農家の貧乏な暮らしで、野菜は作らなければ口には出来なかった。肉など買えず、クジラの肉を買えれば、ご馳走だった。実際、川魚を干して焼いたの、祭りと正月の鶏で、牛肉等食べた記憶がない。

 今は、何でもある。防腐剤をふんだんに使い、化学調味料で味付けをし、長期の保存が効く。便利で簡単な食材は溢れている。気づかぬ内に身体を壊し、命さえ投げ出す。注射や薬で寿命を延ばそうとするが、そもそもが無理で限りがあるよ。

 自分が何時、命を終えるかは、決まっていても解らないが、その覚悟は持っていたい。自然に委ね、生きる意味を察し、或いは地球への感謝、宇宙への祈りで。夕方の天頂に夏の大三角が、夜の東南には、冬の大三角や、昴が燦然と輝いて。

 我が家のすばるは、女の児だと思ってもらったのが、腕白であった。名前もその心算で、すばるとしたが、どうも勘違い、思い違いであった。最近は膝が軋む。重いのである。抱っこはまだしも、乗っかってきて、膝で眠り出すと、痺れてくるのだ。

 猫は寒がりとはいうが、県北の極限の地域では、どうやって生き延びているんだろう。飼い猫なら、暖かな室内で過ごせるが、野良は寒いだろう。本皮といえど、あれだけでは凍えてしまわないか?雪や吹雪には、避難出来る場所があるのか。

 そうしてみると、人間て贅沢に暮らしているんだなぁ。地球は、人間だけの生活の場ではないのに。浩太郎さん、今年バッタが発生しなかったのは、地球の滅亡時期に近づいてるからでは?何だか不安で、とても厭な気持ちです。自然の法則。

 図書館から出たら、駐車場の端にある病院から、黒い煙が立ち昇っていた。胸の悪くなる臭いと煙。消防車の出動。

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