二十四節気 冬至 この日は、太陽が黄道の南端を通るので、北半球では、一年で中で最も、昼の短い日となり、寒気の厳しさを増す。毎年、十二月二十二日頃である。何時ものことながらも、季節の廻りを的確に現している。と寒さに怖気づく。
冬至には、南京を煮付け、鰯を齧り、柚風呂に入るが、昨今の者には、昔の行事の意味さえ薄れてきている。鰯は、安くても尾頭付きで、そのお頭を竹串に刺して、柊と共に玄関に飾り、魔除けとした。南京も柚も、各家庭にあるか分け合うかした。
生活の知恵でもあったのだ。南京は、保存が利き栄養もあった。スーパー等ない時代には、食卓をつましやかに賑やかす大切な、食料でもあった。戦時中には厭きる物でもあったが、殆んどが水に等しい食べ物で我慢していた。農家だって同じ。
秋刀魚もそうだが、資源を見誤って獲り尽くした結果、高値の花となってしまった。秋刀魚は、やっぱり目黒。等とは言っておれない。然し、鰯も秋刀魚も、贅沢な食卓であればのこと。隣近所の付き合いにも、遠慮や気兼ねがあれば殺人も減。
すばるの様子がおかしい。餌を食べない。寒さからか眠るばかりで、あまり動こうとはしない。以前のように、飼い主の先に立って、転げるように走っていた姿がない。悪戯も少なく、怪しい行動が目立つのだ。薬害の恐ろしさを間近に見知った。
猫本来の姿を、転換させるのだから、これが人間であれば、相当な精神異常となろう。薬だけではなく、注射にも含まれていよう。人間の勝手で、何という可哀想なことをしたことかと胸が痛む。生き物を飼い、棲むということの本質は残酷さが。
図書館に寄って帰宅する。森の珈琲が届いていた。隔月の22日に届くようにしているが、毎朝では足らないので、小川珈琲も淹れる。味の違いに驚きつつ、手間もあるので我慢している。明日から、三連休を取ったので、挽いて淹れられるよ。
年末であり、大掃除の分担が押し寄せて来る。気づけば自分で遣ればいいのに、労力を惜しんで他職員を巻き込む。実際、自分で遣れば速いし、何処までしたかが分っていいのに。ボディソープを持参しているので使う。すんごく綺麗になった。
薄桃色のクリスマスローズが開いた。枇杷葉の根元にすっくりと静かに立ち、気をつけて見なければ分らない。