枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、下弦・小潮

2017年12月10日 | Weblog

 寒い。天気であれば布団を干すが、自分の身体のことには無頓着で、ちょっとしんどい。早々と切り上げ仕舞う。ストーブを点けているので、燃料がもったいない。安納芋があるのを思い出し、アルミホイルに包んで、焼き芋をする。体調不良には安息が。

 夜間の外出は控えているが、仕方なくの用事ができれば覚悟を決める。年齢と共に視界が狭まるのは、誰しも同じだろう。実際、前方が見え難いのに、安全運転を心掛けていても、油断大敵となる可能性がある。猪も鹿も、夜行性なので出没している。

 リエさんに花芽を送ろうと、あちこち見て回る。リエさんのは満開に至らず、暁子さんのと初花芽のを採る。尤も、結実になるのは決まっていて、枇杷の育て方には、敵芽のことも記しているので、採っておいてもいいようだ。玄関のも結実は難しいなあ。

 林檎のお礼に、花芽を贈らせてもらったら、ご丁寧に連絡をもらった。丁度、勤務先に出かけていて、帰宅してからの話となったが、枇杷葉は、林檎の熟れる場所では育たない。また、木はあっても結実は無く、寒さに枯れてしまう。長野って寒いんだよね。

 寒いのが苦手のわたくしには、到底住めない場所である。いわさきちひろさんの、安曇野にも行きたいが、初夏か暖かい時期がいい。岩手県には、故光瀬龍の記念館があるそうで、訪れてみたくは想うが、決断が鈍る。宮沢賢治の苦労が偲ばれるもの。

 宮尾登美子の『蔵』も、読むに至っても、当時の状況は分っても、其処に住まい、暮らす人々の気概には程遠い。極寒の土地に居て、凍てつく時期をどんな思いでいたのだろうか。想像に絶する厳しさであろう。そういった想いに原発が重なる。核は否だ。

 嘘ばっかりついて、自分達にだけ都合に良い言い訳をする。大多数の者が知っており、その態勢を変えなければならないのに、膨大な資金に心が動く。地球を蔑ろにした行動に、この青い美しい星が啼いている。わたくしたちは心して、棲まうべきなのに。

 浩太郎さんの、バッタにしても、消えていく運命にあるんだろう。人間の愚かな行動が、地球を破滅させ、微生物さえ殺してしまう。核の恐ろしさは、人類だけには留まらない。地球が壊れるのは時間の問題だ。壊しているのは、霊長類の頂点に居る人類。

 沢田研二さんの歌の中にも、そういった意味の歌詞がある。彼の歌を聴きたいのも、切々と歌い上げる心が感じられるからだ。派手なアクションでも、衣装や、パホーマンスだけではない。過去はどうであれ、現在の沢田研二さんに、万感の拍手を贈りたい。

 月の光には、魔力がある。願えば適う祈りもある。反面、必ず自分の行いに還ってくるので、覚悟しよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする