二十四節気 立夏 太陽の光熱、いよいよ強く、夏の気立ちがのぼる、と言う意で、立夏と言われる。毎年、五月六日頃である。旧暦での暦と、二十四節気や七十二候を知っておくと、何かと体調変化にも心強いもので、気分的にも大いに差が出る。季節の旬を知るのも大切なこと。種蒔や収穫にも。
すばるが明け方の寒さに、蒲団に潜ってきた。起きようとしながらうとうとし、不覚にも眠っていた。どうも休日というと、身体が反応するので、のったらしてしまう。お茶の用意をしておき、蒲団を干す。洗濯機も回す。室内は肌寒いが、外に出ると汗ばむ気温だ。枇杷葉の小さな実に袋掛けを行う。
長崎茂木と、初生りの枇杷葉には、既に掛けている。サンタさんのにもしているが、リエさんのが途中である。脚立を出して登り、枝に付いている小さな実に掛ける。やっと終わって、フェンスの長崎茂木を始める。こっちは寒いので全滅かと思っていたら、結構な数である。掛け終わったら袋が終了。
袋が足らなくなる計算ではなかったので、店まで行って来ねばと思うが、昼ご飯を食べていない。お腹が空いて眼が回る。職場で貰っていたオレンジを齧り、ご飯を仕掛けた。炊き上がるまでの間、ブログの更新を。釣り鐘草が咲いた。これは零れ種での発芽である。挿し芽での薔薇も、風に揺れている。
梔子の葉が、黄色くなってしまった。小さな羽虫が見える。自家製エキスを掛けておく。スズランが満開になって、辺り一面に香っている。百日紅の枯れた枝を切る。蒲団を仕舞う時間は?と携帯を見れば、午後2時を過ぎている。ふかほこになったのを、埃を払って畳み押し入れに。すばるも嬉しそう。
明日は図書館が、久々に開くので、返却と借りに行って来よう。山本悦子さんの、夜間中学にようこそ、未だ読めないので延長に。新三河物語、面白いんだが、枇杷葉の袋掛けで中断。徳川家康の天下取りの前のことが、全く以って知らなかったので止められない。宮城谷昌光さんの、全作品踏破するぞ!
ところで、自分が本好きであることは、多少は他人も読むのか、という思いがあるが、話しが何時も噛合わない。世の中の状況は、芸能界や不倫騒ぎだけではない。もう少し、自分を磨くことも必要ではないのか。自国の憲法や、原発のことにも、もっと興味や関心を持ちたい。これじゃ安倍政治の思う壺。
庭の深紅の薔薇と、枇杷葉の緑が美しいコントラストである。白のシランも、卯木の白も、終わりかけのクリスマスローズも、緑の中で輝く。心をかければ、こんなにも応えてくれる自然に、感謝と祈りを。しあわせです。生かされていることの意味に気づかなくても、日々を無事に送れることは最高なの。
袋掛けの前の枇杷葉。昨年には、実にたくさんの実が熟れて、リエさんを始め、佐藤さとるさんにも。