枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

ハイジ

2018年05月24日 | Weblog

 長編を短くしたのは、中を端折っているので、肝心のところが不明だ。県立図書館から、岩波少年文庫で上・下で送ってきた。今まで知らなかった箇所が明らかになって、そうだったのかと納得する。アルム爺さんにも、戦争の傷痕があった。戦いは、何時の世にも、心を閉ざさせてしまう。

 ハイジに対する姿には、最初から拒みはなく、素直で真っ直ぐな孫への、朴訥な愛情が窺える。実写版では、そこのところは設定を変えていたが、文字と映像の違いだろうと思う。何れにしてもハイジの心根が新鮮で、自然に溶け込んでいく様子が、まるで自分のように捉われるのも嬉しい。

 児童書も、古典的な物語は、時代を超えて読み継がれるし、子ども時に読んでいてもだが、歳を重ねて再読してみるのも悪くない。どんな小さな箇所にも、隠されている愉しさがあり、謎解きの出来ることも有る。読書の愉しさには、その時々の心が現れて、違った自分に遇えるのもよろこび。

 人間の生き方にも、様々な形があるが、自分に正直にだけは生きたいもの。天知る・地知る・人知る・我知るである。22日は旧暦の、卯月八日で、釈迦牟尼の生誕日だった。天にも地にも我独り・天上天下唯我独尊。産まれながらにして、悟りの境地にあったものか。宗教とは心の依り代か。

 今朝、出がけには玄関まで出てきて、甘えたすばるだが、勤務先に着いて、餌を充分に遣ってなかったのを思い出す。帰宅して、ちょっと機嫌斜めであった。今は、居何時もの場所で、毛繕いをし、丸くなって眠っている。熟睡ではなく、薄目を開けたり、様子を窺っているのも可笑しい。あはは。

 実際、1年と2ケ月経ち、体自体も大きくなって、肉も程々について、しっかりしてきている。箪笥の上に上がって、下りられないと鳴いていたのが、お利口さんになって、何をしたら、叱られるかが分ってきたようだ。留守番もちゃんと出来る。仕事に行くのと、休日は理解度が異なるようだ。

 揚羽の幼虫。毎年、必ずやって来て、卵を産みつけていく。黒い小さなのが、次第にこの姿に。

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