何時ものことだが、燃料切れになったら困るし、余裕で補給していかないと、何かがあってからでは遅いと出掛ける。その沿道には、たくさんの栴檀が競い咲く。見上げると咲き始めていた。淡い薄紫であるので、知っていないと見落とす。桐が済み、栴檀が咲き、この後は合歓に変わる。
季節の移ろいにも、心を留めていないと、四季折々の花は分からない。卯の花の匂う時期、吸い葛や野茨も花は終わる。田舎での暮らしには、自分で見つける愉しみが、あちこちに隠れている。何気なく一日を過ごすのも、花屋に行って買うのも、また喜びがあるが、自然からのパワーを。
個人的には、枇杷葉からのエネルギーを、たくさんもらっている。生かされていることへの感謝にも併せて、祈ることも必要なこと。桑の実が熟れだして、口に含むと甘い味だ。幾つか頬張りながら、ふと葉を見れば異様な光景である。何の虫かは不明だが、糸を引くように付いているのだ。
昨年までは、こんなことはなかったのに、といぶかしく思う。裏に越して来た者が、除草剤を撒いたと言っていたが、もしやそれではないのか。虫には避難場所になったのかも知れない。薬の作用には人体へも大きく及ぶものがあり、困ったことでもある。ドクダミが可憐な姿で立つ。
ハイジの上巻を読み終えて、図書館に返却に行く。新刊案内に、宮部みゆきさんのを見つけ、予約しておく。この世の春には、不思議な情感があったが、彼女の作品の数々は、わたくしの経験をしたことと重なり合う。言葉の持つ意味にも、納得できる箇所が多い。ヨシタケシンスケ脚光。
昼食は、冷麺にしたが、冷たいのが嫌いなので、茹でた直前で食べる。すばるは酢が嫌いのようで、近寄らない。アイスキャンデーは好きで、特に練乳部分を舐める。蒲団を仕舞い、パソコンを開いて座る。気温も適温で、眠さも増していく。ハイジの下巻を読まなくては。仏像解説もだ。
我が家の枇杷葉は、商売をしているのではないから、料金は貰わないでいる。仮に受け取ったとして、効果がなかった場合、返金を余儀なくされるし、そういった手間が面倒である。心が通じればいいことであり、解る方には惜しまない。リエさんやしーちゃんはまた別枠で、愉しみで送。
一日経つ毎に、太陽の光と、月の雫を浴びて、育ちゆく枇杷葉だ。可能な限りは、自然のままにしておき、心をかけて遣りたい。水や風に、心で思いつつ、無事に収穫できますように。甘くて美味しくなって。と祈る。葉が齧られているのは、きっと病んだ者等が訪れてきたものだろう。納得。
金星と月の姿が隠れると、宇宙には数多の星が輝く。自然からの力を、身体中に注いで。