枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月、上弦・小潮、霜降

2020年10月23日 | Weblog
 二十四節気 霜降 陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は黄変するの意味で霜降と云う。毎年、十月二十三日頃である。一昼夜降り頻った雨が止み、天気の回復を待っていたが埒が明かず、洗濯物を室内に干して弁当を作る。配達の用意ができた頃から陽射しが現れ、外に出すことにする。すばるは寒いと機嫌が悪く、抱っこをせがむものの出かけた。

 車の中は暑いくらいで、上着を持っては来たが必要ない。それにしても不安定さは拭えずで、昨日の寒さとの寒暖差が激しく身体がついていかない。暖房を点けていない分風邪を引きたくもなく、セーターを出しコートも被って過ごした昨日、本日は凌ぎ易くなっている。帰宅して、落ち葉を掃き枇杷葉の枯れた葉を除き昼食を頂く。苗に酢を散布しておく。

 梔子に大きな緑の毛虫発見捕獲。葉が齧られていたのは既に数ケ月前からだが、これが葉と同じ色なので見つけ難い。葉の裏側もひっくり返して見るが、上手く隠れていたのだ。雨で腹が空き出てきていたらしい。スイトピーの苗が蔓を伸ばしているのに、手を立てて巻き付くようにしておいた。フリージアも鉢の中から芽を出しており、春が待ち遠しい。

 はり灸さんに治療に行きたいのだが、コロナでの安全と移動への不安があり、加えて仕事を辞めたので年金だけではと見送っている。国の遣ることは、金を配れば消費せよと言い、年金を増やすことよりも減らし、政府が管理し易いようへと誘っていく。今までもその日暮らしであったのをこれ以上どうする?銀行強盗遣るの、横領着服するかなとも思う。

 テレビは観ないとアンテナを外し、年金暮らしをこっそりとと思うのに、介護保険はごっそり持っていかれ、貯えも切り崩しての節約・倹約でやっているが、何だかなぁ疲れちゃったのよ。世間との隔離状態で、全く行き来がないとなれば精神的にも可笑しくなる。パソコンがあったり、時々友達がやって来るが、それさえもなければ。皆さん感謝します。

 介護の業務内容も激務であり、体力も気力も並大抵ではないから、動けなくなるまえに引退したが、下界との煩わしさは多少の我慢が必要か。真面目に一生懸命にすることにも疲れたし、一日を過ごす意義もないので、生きていることに罪悪感さえ持つ。他所さまのブログを訪問して得ることや、元気や勇気をもらうことが増えたのは、諦めの境地かな。

 淡い色の薔薇には、儚さも伴っている。上は枇杷葉に覆われ、下ではドクダミが繁殖し続けるので、何時も気づくのが遅い。
コメント
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