枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

読書週間

2020年10月28日 | Weblog
 特別なことでもないように思えるが、本嫌いであったりすれば、仕方なく読んでみようかとなるのかしらん。テレビが嫌いなのは、最近はやらせが多いこともどぎつ過ぎて、余りにも馬鹿々々しい内容に視聴率ばかりを計算してと思える。往年のスターが引っ張り出されると、若かった時や売れていた時のことばかりに集中する。何よ!皆歳をとるんだわよ。

 書籍には今も昔も読者を選ばず、其々の心に語り掛け或いは寄り添って、情況への対応をゆっくりと整えてくれるもの。時を遡り大好きだった人にも逢える。恋して止まない方に遇わせてくれ、切ないほどに感情の起伏があっても、黙って抱きしめてくれる。傍に居てくれるだけでいい。DVD・ある日どこかでのように、今に迎えに来てくれると信じて。

 幸田延と幸を読みながら、その頃の時代を先駆けていった女性が居たことに感銘する。才能にも因ろうが、天才も弛まぬ努力の賜物に気づく。でも、運気も必要だろうとは思うし、何が幸いするのかも生き方に影響するのかもしれない。糸も24時間中堪えず張りつめていれば、やがては切れてしまう。心身共に緩めたり張ったりが巧く噛み合わないと壊れる。

 明日は、既に本日にはなっているが、網戸を張り換えてもらうので落ち着かないため、先に更新の予定だけしている。星を眺めて就寝するが、湯たんぽのお陰て安眠できる。すばるは寒くないと潜ってこないので、炬燵代わりには無理なのだ。今も、パソコンを始めたら機嫌が悪くなった。抱っこを所望している。猫の3年って人間の何歳かな?甘えん坊だ。

 網戸の張替えが無事に済み、珈琲を挽いて淹れ暫し談笑する。前の職場の娘が親切に頼み込んで、連れて来てくれての対応なので安心もできた。こういう時に、身近に居ないのも淋しいかなとも思うが、気疲れするので何年も放置しており、藪蚊の侵入に貴重な血液を吸われていた。誰も、手弁当では遣ってくれませんし、自分でできないときている横着。

 すばるは、何時ものように箪笥の上に駆け上がっていた。絶対に姿を見せないのもお利口さんで、飼い主の心境をよく弁えている。娘は、足湯に訪れて来るので、そこにはちょっとだけ挨拶していたが、一体何処に行ったのかと思うくらい隠れてしまい、気配が消えるまで出てこない。餌はむろんのことで、トイレも絶対使用しないから、用心深さは忍者。

 昨日、ブログを書いての中断後、外に出てみたが雲が多く火星しか観えなかった。今晩から雲行きも下り坂らしいから諦めて眠った。今朝は早朝から眼が冴えていたが、段取りを考えてAM7時過ぎに起きた。新聞を読み、珈琲を淹れて飲み、支度を整えていたら約束の10時になったので、待ち合わせ場所へと向かい昼食の弁当を買いにドライブした次第。

 新車で買って、早2年だが走行距離は15000Kmである。燃料はきちんと容れているし、洗車もしているが何分近場ばかりをうろつくので、本日は少し距離が延びたかな?田舎は、車がないと不便だが乗らない日が多いと、余計な出費が増えるばかり。1台の車を予約して時間で使用できるシステムには程遠い。古希になったら免許も返上しようか悩む昨今。

 気にいって買い植えるが、暫くすると名前が出てこない。増えていく種類や消えてしまうのもあり、放置状態で有難い。
コメント
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