枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

月日の流れ・・・

2020年10月30日 | Weblog
 昨夜は十三夜で外に出るが雲が多い。目論見が外れてしまい時間稼ぎをしつつ待つこと数時間、午後の8時になるものの生憎の雲の広がり、こうなったら根競べかとデジカメ片手に…、やっと雲間が切れたところを数枚撮る。火星は輝いているが、秋風の勢いもやさしくて寒さは感じずで、未知との遭遇には及ばずであった。すばるが外に出たがるので家内に。

 牛乳パックの飲んだ後を洗い乾燥させて、鋏で切り開いて幅が1cmで長さが25cmの物を作り、ボンドをつけて型に合うように千代紙を貼っていく。一日乾燥させたのに両側から丸く折り仕上げる。このままでも好いがニスをかけると艶が出るし水分を弾く。わたくしはそのままで使っている。千代紙の柄にも因るが高々箸置きという品物にしては上出来です。

 介護施設に居た時にバザー作りにしたのですが、千代紙の模様が綺麗で作り方も簡単なので手持無沙汰になると遣っている。この他にもごみ箱入れだとか、スポンジ作りもあり見様見真似で出来るのも楽しい。ネットでの検索をすれば作り方は出ているらしい。昔には、藁すべや麦での作業であったのが、廃物利用で牛乳パックとは発案者に拍手。他にも多々。

 天気が続いており枇杷葉の苞の状態も先ず先ずでうれしい。金木星や銀木犀に柊も咲き終わると、どこからともなくやさしい香りが漂ってき始めるが、それが枇杷葉の匂いなのであり、薄茶色の苞に包まれた蕾から白い花弁が現れる。最初は、一体何処から?何の匂いなのかが分からずで、我が家で咲いていることにさえ気づかなかった。そろそろだねぇ語り。

 屋敷中を枇杷葉で埋め尽くしているのと、百日紅等の彩づいた葉が風に舞うので、落ち葉掃きは欠かせない。昨日も、掃いて終わったと振り向きざま、風で枯れ葉が舞っている。厭、自然現象であり横着をするなとの戒めだと再度箒を持つ。昨今はその場で焼けないので、腐葉土にするべく纏めておく。数年経てば自然と嵩が減りボロボロになっているのよ。

 コロナでの死者が増えているのか、他での疾病なのかは不明だが、やはり人が密集すれば危険を伴うのは明らかで、田舎であろうと都会でも条件は変わるまい。マスクも作っておこう。先日には、スカーフを切って縫ったが、これがツルツルと滑るので厄介なのだ。蝋燭を縫い目に付ければ好いようで、まあ手縫いであるからと口実をつけて渡す横着者だが。

 百舌の鳴き声にチイチイとの声も混じる。古米の忘れていたのがあって庭に撒いてやったら、利口なんだね鳴き声で呼び交わしている。ここには餌が沢山あるよとでも言っているのか。幸田姉妹を読み終えて、出版日付に2003年とあるのに驚いた。幸田文・おとうとは読んだことがあるが、この姉妹のことには気づかなかった。廉太郎ノオトも胸が震えた。

 還暦を越えれば怖いものなしでもあるが、多くの書籍に親しむことも大切だと痛感した。今までにも読んできているが児童書が大半を占める。好きな作家にも填まると他が見えなくなる性格で、佐藤さとる・末吉暁子・灰谷健次郎等、買いまくっている。最近はヨシタケシンスケで、言葉で表現できない子どもの気持ちは、大人にも共通なことだとも思える。

 新聞に眼を通しながら県内版に安堵する人が居る。俳句や短歌の投稿だが、久しく名前が載らなかったのでもしやと案じてもいた。生涯を独身で亡くなった恩師にも、偶さかのことしかできなかったのを、弟さんが慰めてくれた。本人は医者嫌いであるから、手術はしないと延命を断ったそうだ。安否の確認には新聞でしか分からないがそれも亦然りか。

 淡い色の薔薇を見ると、ケーキの上に飾り付けた薔薇のデコレーションを思いだしてしまう。食いしん坊でもあるのよ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする