枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鹿が啼き、百舌の騒がしさに

2020年10月05日 | Weblog
 夕方から笛が鳴るように聴こえる鹿は、夜半近くまで相手を呼んでいる。早朝からのけたたましい声は百舌で、まるで目覚ましのようでもある。昨夜も全く宙が観えず、これで4晩の連続であるが、台風の影響なのかな?洗濯物も乾きが悪く片付けられない。すばるも寒いのか暑いのか寝床には入らず、敷き布団の上に丸くなる。今朝は風も結構あるが凌ぎ易い。

 クリスマスローズの苗を植え替えている鉢を移動。上に置くのを小さめのにして、大きいのは安定した場所に換えた。通草の種を鉢に植えこむが、発芽するかは未定で少しだけにした。残りはお茶にするべく新聞紙に広げた。皮は料理にしてもいいのだが、薬酒の方に回す。1週間来ないのに色が濃く出ている。これを飲用するようになってから風邪を引き難いが。

 沢田研二さんが腕を骨折した後に、中東への旅をしていた画像を偶然見つける。モーゼの十戒を観ていたから、歴史が良く解ったものの、彼等がそこで生きていく環境の険しさに驚いた。人間は自由でありながら、産まれは選べない。過酷な現状であろうとも生きなけらばならないことにも言葉がなかった。モーゼがエジプトを出た想いには至らぬが信仰への深さ。

 マグダラのマリア、キリストの復活、汚れなき悪戯。現在の教会の堕落には信仰への不信もあり、ダビンチ・コードに覚醒された想い。謎が謎を生み深めていくが、頷ける個所もあって面白いもの。ライラの冒険も新作での登場に期待している。前作は尻切れトンボだったし、俳優の個性が強過ぎたきらいがあるので。それにしても原作を読んでほしいものだと。

 枇杷葉の枝の中心部分が膨らんでおり、どの個所にも付いているのが見える。今年は表年なので豊作になるだろうが、車の出入りに繁っているのは伐らねばならない。脚立にも登れない高さのもあって、それも伐らねば。年末から寒中が剪定の時期なので、どの枝にするかを決めておこう。伐った枝や葉は小さくして新聞紙に広げてお茶にする。これは自然乾燥。

 佐伯チズさんの著作を読みながら、自分を好きになることや、何事にも感謝する心を失わないということに納得する。自然への祈りであり感謝に他ならない。過去への憤りも悔しさにも、取り返せるものならと思うが、それに執着していても前には進まないし、逃れられる方法もない。生かされていることへの深い想いになれば、乗り越えて往けることもあるか。

 果物というか花木には、生り年と裏年が交互に来るようになっている。それには命が宿り消えていくまでの過程が重要。
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