枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月、十三夜・中潮

2020年10月29日 | Weblog
 作物の出来不出来にも植え付けの段階での不手際や、その時の気温も大きく関わるのではないか?と思える。加えて、個人的には暦を参照して行うので、例えば春には何処に金神様がおいでで、その場所は決して触ってはいけない約束を守る。お不動さまに願掛けをするのも、邪なことは頼まないことでもあろう。手塚治虫氏のどろろにも描かれている。

 昔の風習に強い拘りを持たなくてもいいが、骨身に沁みた件もあって疎かにできない現象もある。但し、他人への強制をしようとは思わない。其々に考え方も生活も環境も異なり、自分なりの信念もあろうと感じるので、聞かれれば答えるが敢えては告げないでいる。そういう力があることにも自分自身の負担も少なくない。旧暦での暮らしにしてから。

 昨日網戸を張り換えてもらったら、何と部屋が明るくなり景観も良くなった。掃除もしているものの、汚れが拭き取れていないことに気づく。然し、年末の大掃除もこれで多少は横着が出来るとあって、体力にエネルギー消耗の危機感を薄れさした。年金暮らしでは、何もかも自分でしないと舞いません。安くて栄養的なことや、分量も考えないとね。

 プランター栽培も一時期はしていたが、野鳥と夜盗虫との戦いに敗れた。土がないのを買わねばならず、菜園も猫の額程を作るのも、管理は無理だと青空市にしている。お百姓さんを侮ってはいけません。百姓というのは自然界の100の事例を極めることだそう。そりゃ並大抵では出来ませんし、土の色や香りや、果ては資質に無頓着では不可能だ。

 やはり専門の方にと諦めて、今は枇杷葉だけにしています。これが自分に向いている自然との語らいだと想ってのことで、本日も鉢の移動をしながら話もして遣っていた。布団を干してのことでは、仕舞わなければならずなので、気づけばPM1時を過ぎてしまった。腹が鳴るので昼食を口にしていないことに慌て、ご飯を仕掛けて更新をしている粗忽者。

 フェイスブックの背景も工事中だし、個人での記事の載せ方にも分からないことだらけで、リエさんが送ってくれる記事やら、はり灸さんの書いていることへの反応だけだ。そこが機械オンチな処なので無理をして、消去してしまったり、初めから作成するとなると混乱を極めるので、現状維持での操作に始終している。取説があっても分からないのよ。

 それにしてもこの暖かさはどうだろう?暖房を点ける気分ではない。車は自動切り替えであるが、25℃設定だと暑すぎたりして困る。異常気象に不信感が強くあり、地震が起きねばいいがなとも思え、心配事の種が疼く。リエさんの所はしょっちゅう揺れているとかで、こちらのようには気楽でもなさそうだが、壊滅状態になればどうすんだろうかなぁ。

 小さな卵が孵化し、1mm位から蜜柑の葉をひたすら口にし、やっとこの大きさになった。親指大位になれば蛹に変わる。
コメント
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