枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

天空のつなぎめ

2008年09月10日 | Weblog
 世間に疎い、というより芸能界のことも含めて、知らなくても生きていけるからだが、テレビってほんとうにつまらない映像という認識を再確認。

 でも、視聴者を見る気にさせ、だらだらと見させるようにしむける企画に感心した。糠漬けはしても、テレビ憑けにはなりたくないよなぁ。

 JRの貨物車を購入して、店を営んでいる知人の所に寄ると、その人が話しの中で我が家が、まるで白い大きな手で包み込まれて、浮いているように視えるって言うのね。

 結界を張ってるのも、天空と繋がっているのも感じてはいたが、ここまであからさまに、数人の前で言われると、面食らってしまった。

 十数軒ある中で、1軒だけ異様な雰囲気があって、違うのだと真面目な顔でいうのだ。神秘的な近寄り難い空気だとも言う。

 この知人も視えるというか、感じることができるらしい。
 あの辺りだけ不思議なのよ。しょちゅう神々しい光りに満ちているし、鳳凰やら龍やらの架空の者がみえたり、釈迦如来や観音菩薩まで視たことがあるもの。

 怪訝な顔をされるかな?と思っていたら、信頼の眼で見つめられた。

 枇杷の葉の活用法(枇杷湯で浴室の壁と天井のカビが消えた!)を広め、困っている人には、自然に手を差し伸べよ。ということらしい。

 きっと、これが自分の生まれてきた使命なんだな・・・。資格はなくとも円く治めよ、とも。
 これともう一つ、不思議に思えるのは、我に害を成そうとする人は、必ず報復される。

 え?自分自身にだよ。今までにもそれで命を落とした人は数知れない。
 また、初対面でその人に起りうることが視えて、言うとあたる確率は結構高い。

 でも。これくらいの能力なら、掃いて捨てるほどいるよ。これって、特技の内に入るかね?あはは・・。これで人間恐怖症になったんだよなぁ。何が怖いって、生きている人間が一番恐ろしい!

 白枇杷が我が家に紛れ込んでいたことだけでも、不思議なことでしょう。
 
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秋の空

2008年09月09日 | Weblog
 朝晩の冷え込みが我が身には寒い。今日は布団干しである。
 枇杷酒を呑むようになってから、体質改善はされてきてはいるが、毎晩という訳にはいかなくて、さぼるとこむらがえる。

 これには、水分不足もあるから、日中が凌ぎやすくなると、枇杷茶の量が減ったことにもよる。
 朝、枇杷茶を必ず沸かし、魔法瓶に注いでおく。

 薬缶にいれたままだと、温かいのが飲みたい時、再度沸かさねばならない。面倒くさい上に、ガスの無駄使いである。熱いのは、冷ませばすむ。節約、倹約だ。

 卵もゆで卵を作るのに、沸騰させて火を止め、蓋をして置く。
 3時間くらいで温泉卵の出来上がり!物価の値上がりに対抗するには、ほんっと知恵が必要。

 バターもパンに塗るのを止めた。こんがり焼いてそのまま食べる。或いは、少々の塩を、ちぎったパンにつけて頂く。結構旨い。

 青紫蘇や、一夜漬けの野菜もおいしい。
 金持ちだけが生きていればいい、社会の仕組みだけれど、どんなに文句言ったって、よくならないんだもの。後はこっちの創意工夫しかない。

 でも、腹は立つよ。しかしこれで修行すれば仙人になれると?自分にいい聞かせてしている。

 赤枇杷の、今年の苗が6本は確実。昨年の分もあるからいいことにする。
 今年、友人や知人から自生の枇杷をもらったのが、房州枇杷に似ている。 

 大人の親指大には、食べるのに参った。正直、種が必要でもらったような・・・。
 また、甘いのと普通のと、熟れている見かけだけのと、差がありすぎた。
 
 園芸店で苗は購入して畑に植えている、という友人のは、おいしいのと、味がないのと両極端であった。 枇杷の実の大きさは、ごく普通であったが、我が家のとは比較にならない。

 家のは小粒であるが、甘さというよりも甘酸っぱく、瑞々しい、そのことから言えば、枇杷本来の味から遠のく。やはり糠は欠かせない。

 それも、与える時期をずらせたら効き目はない。
 有機肥料は回数を減らそう。枇杷の木が生きているのだから、土そのものが生きていなくては話にならない。淡路島で足元が緩く、土が呼吸をしていたのがやっとわかった。

 人間の奢りを捨てて、自然と向き合えば、視えてくるってことを気づかせてもらった。
 今日の秋の空のなんとあおいことかしら。
 
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手品?魔法?

2008年09月08日 | Weblog
 枇杷には、一体どんなパワーがあるんだろう?
 ネットに記載されているだけでなく、きっと先人達の知恵は、ごくごく普通の庶民のものだったと思う。

 むつかしい学術用語はわからないが、いろいろ試してみたら効いた。
 そこから始まったのではないのかな?

 今では枇杷の種無しや、茂木にも、白茂木というのもあるらしい。
 我が家のは、白枇杷である。

 生協で企画して購入しているから、当時の購入伝やら記録は、生協に保存しているはず。
 記憶力、というか、あの枇杷が届いて、パックの中に入っていた、小さな紙切れには、静岡産とあったのを鮮明に覚えているもの。

 これまでに届いた枇杷より、色が薄い割には、おいしかったのも忘れられない。
 加えて、日記とまではいかないが、メモで書き留めているのと、書くことに少々携わっている関係で、冷静に自分が視えてくる。

 最近になって突然、あることに気づいた。確か、白枇杷ってもう1本ある・・・。
 これが、真東のリラの木の根元に地植であるのだが、一旦は木の丈が30cmくらいになって、葉が7枚ばかりついていたのが、斑点ができて、木さえ枯れてしまった。

 おかしいなあ、枇杷って生命力があるって言ってなかった?と思ってみたが、それっきり忘れていた。
 ところが今年の春に芽吹いて驚いた。生きていたんだ!但し、3程の葉は、12cm以下だし、丈は枯れた木の横から新芽が出ているので、せいぜい10cmくらいである。

 復活に携帯で写真を撮りながら、あれぇ?葉の色に眼が点になった。これって、薄黄緑色をしている。うひゃあ!これ、白枇杷だよ♪

 狭い箱庭であるが、日々の変化に富んでいるのも、我が家の魅力なのね。
 今年の白枇杷の苗も少しずつではあるが、育っている。

 自然の法則の定義はわからないけれど、芽を出して生きようとする白枇杷に健気な想いを感じた。
 
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一途なこだわり

2008年09月07日 | Weblog
 図書館での新刊依頼で読み始めた本の題名は、『奇跡のリンゴ』。
 この番組が企画されて間無しに、登場した人物のたどってきた道順が書かれてある本。

 テレビで見落としたところや、知りたい事(質問・疑問)があって、何れは書籍として出るだろうと待っていたので早速、予約をかけていた。
 
 無農薬は、考えつく割には、時間も手間も半端ではないのを少しは知っているつもりでいた私に、でんぐり返しをさせ、それも月面宙返りの離れ業をさせた。

 枇杷でやろうとしている事を止めよ。といわれたようなものだ。
 我が家の枇杷の木が、ほったらかしであり、短い期間で結実した訳は、自然に任せていたからこそなのだ!

 それに気づかせてもらった。
 だって、4年で結実なんて、信じられないよ。子どもの頃から、枇杷の木は、敷地内には植えるな。植えた人が死なないと実は生らない。

 鴉が好むので縁起が悪い等、およそ佳い意味に言われた試しがない。
 そのくせ漢方としては、人間の勝手に使われ、藪や山のどうでもよい場所に植えられていた。

 虐げられた人生である。実際、自分でもそう思っていたし、事実を調べるまでは至極最もと考えていた。だからこそ、この人物がマグニチュード8くらいに気になった。すごい、すごすぎる!!

 自分の現状は、対人関係が困難になって家に居る事が増えた。
 でも、思いようで時間はたっぷりある。

 枇杷の種を植え、芽を出してきたのに歓喜し、日々の過程を克明に記録していくのは、他人から見れば、気が違ったと思えるかもな・・・。

 赤枇杷は、甘酸っぱい汁がしたたる美味さができた。
 問題は白枇杷だ。木といい、葉といい難題が次々と出てくる。

 白枇杷は、赤枇杷の倍は生育がかかるらしい事も衝撃であった。また、静岡の土肥地方にしかできない、と書かれてもいる。

 このデータも調べてみなければ。ほんとうに問題が山積みなのだ。でも、追求していけば、きっといつかはそこにたどりつけると、考え直して自分を信じる事にした。

 千葉の友人の、父上さまの退院が決まった。風の流れが好転し始めた。
 
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未来に向けて

2008年09月06日 | Weblog
 今、生きていてしている事も、毎秒というか、時・時間は過去に流れて行っている訳だ。
 現在というが、決して停まる事のない時間であろう。

 パソコンの画面でキーボードを打ち、変換して確定すれば、それさえも過去の出来事になっていく。考えてみると実に不思議な現象だと思えるなぁ。

 ましてや、アリバイ証言など、自分が知っている人や、何かで関わってなければ思いだすのは困難を極める。まず立証はむずかしい。私が記憶を鮮明に覚えていたりするのは、一重に書くことが得意なだけである。

 また小説ではないから、事実を書いていこうとして非常に時間を要する。しかし嘘は書けないから、メモを確認する。

 こういう時、手帳にポイントだけメモっているのが役に立ってくる。
 原稿書きも以前は、手書きで書かなければ、との意識があって、清書に至るまでには膨大な枚数を要した。

 何度もその段階で挫けてお倉入りになっていることか・・・。

 Kさんという一風変わった人が、パソコンをやってみたら、と恐ろしい戯言を言ったのに、こいつは私が嫌いで、意地悪をしているのでは?と思ったくらいパソコンでの操作には疎かった。

 それが今ではパソコンをなんとか使え、多々役立っている事の進歩、驚きはすごいなあぁ♪
 しかもそれが4年前だという事にさらなる驚きが加わる。

 でも私は人間関係に嫌気が指し、会社を辞めてしまったから、もう遇えないだろうしな。
 会社に行くと迷惑がかかるしで、連絡をとる方法もない。

 Kさん、パソコン3級、勉強したのよ。あの時は、ほんとうにありがとうね。って、書いておこう。

 白枇杷の苗、赤枇杷の苗も、気温が和いで安心したのか、元気で育っている。
 でも、白枇杷って目立たないのね。

 春先のような天気にはうれしそうだが、真夏日には息も絶え絶えで可哀相でならない。
 来年からは葦の簾をかけてやろうかな?
 たっぷりの水と陽射しを遮る工夫をしよう。
 
 
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再生能力

2008年09月05日 | Weblog
 今年の暑さもずいぶんだったが、扇風機を作動させたくらいで済んだのは有難い。

 これからは温暖化の影響で、日本の四季は、年中が亜熱帯の気候になる可能性もあるって、書いてたのを読んだ。野菜生活中心だと、それでは体力がもたないらしい。

 かといって、肉も魚も好みではないしなぁ。
 暑さに負けない体を創るしかないようである。でも、なんといっても水がなかったら、死んじゃうから。あらゆる命の源の水が消えてしまうこともあるし・・・。

 枇杷の種も、天水を恵んでもらって、芽を出した。
 人間は、何かというと、誰かに頼ろうとするが、治癒能力はみな持っている。

 それが使えるかどうかで、ずいぶんと治りが違う。
 枇杷は、これに少しばかりの力を注ぐ。再生力を発揮させて合体するのだ。

 人間本来が持っている力は、超人的でもなんでもなく、自然が与えてくれたあたりまえのものだ。
 一人ひとり、気づいていく過程も違うし、やり方も異なる。
 
 でもそれで、均等を保っているのではないのか?
 バランス・アンバランスがあってこそかなあぁ。

 枇杷の種って、なんだかコーヒー豆に似てるのよね。
 焼酎に漬けてエキスが一杯採れた。寒中の仕込が楽しみ♪
 
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自分なりの工夫

2008年09月04日 | Weblog
  
 朝の洗濯時に、汚れを簡単に取ってした物は、そのままであった。
 昨晩からボディソープと酵素漂白剤とで浸け込んでいた洗濯物は、洗い上がりがまるで新品。シミやかなりな汚れもなんなく落ちる。

 クリーニングで汚れが付着したまま料金だけ分捕られたのも・・・。
 昨年までは、捨てるに忍びなくて、ビーズをして隠していたのだけれど、図案に手を焼いた。
 おまけに時間がかかりすぎる。

 しかし、高かったのと、気にいっているし、何より素材がいいのよね。
 閃き直感でやってみた結果は成功した。やれやれである。

 気温が凌ぎ易くなったことで、枇杷の芽がちらほらと確認できる大きさになってきて、赤枇杷は5本は確実。白枇杷は2本だけかな?糸瓜水もやってみたくて植えてはみたが、いかんせん。花ばかりで一向に実が付かない。来年に期待しよう。

 茎を途中から切って、瓶に差し込んでゴミが入らぬよう、覆いをした。
 鉈豆は、取り忘れた鞘がすでに20cmにはなっている。それが3つはある。
 赤と白と分けるかな。

 それにしても、淡路の赤枇杷はぐんぐん大きくなっていくよ。
 有機肥料でしているだけでもなさそう・・・。

 東側に鉢植えである赤枇杷は、ひょっとしたら淡路かなとも思う。生協で最初に注文した時には、かなりの実のばらつきがあったもの。とてつもなく大きなのも、やや薄い色の枇杷もあったからなぁ。

 瓢箪から駒ではないが、種を捨てないでよかった!葉だけでも、と種を植えていてよかったぁ♪蒔かぬ種は生えぬ、というが、ほんとうにそうだと実感。

 人助けにもなるし、少しは役に立ててることもいいかな?
 今年は枇杷の中心に、小さな塊が幾つついてくれるかしらん?

 天地人がトライアングルを奏でる。
 そこに生命の誕生の不思議があるのかもしれないなぁ。
 
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自然に生かされ

2008年09月03日 | Weblog
 自然界の空気をよんで、微妙な変化に異変を感じる。
 おかしい。このところ上空にある大気がいつもとは反対に廻っている。

 パソコンの調子が異常を極める。
 螺旋階段の何処かに裂け目、或いは皹がはいったか?昨日、一昨日と庭の配置をちょっとかえちゃったからかも・・・。右の聴こえ難い、耳が警告を発している。

 天水がもたらしてくれたおかげで、枇杷の種が芽を出している。一つ、亦一つと双葉をのぞかせてくるのに、自然の恵みのありがたさを思う。

 平岩西遊記を繰り返し読む。ぱらぱらと捲った箇所、或いは初めから、また気に入った話と、思わず知らず牽き込まれていく。

 ここには、天界の様々な名も並ぶ。なかでも星界の人物の名にこれは、と我が意を得る。机の上の狭い世界でも、なお充分に想い描ける幸せを視せてくれる。

 昨夜、玄関のチャイムが鳴る。時間は、8時前。宅急便の方だったが、ある一種の予感がして、枇杷茶を差し出し、5個ばかりを分けてあげた。

 この人は、何かで苦しんでいる感がしたからだ。時々ではあるが、初対面の人に強烈に波動を感じることがある。

 千葉の友人がそうだった。前世・来世は未知たるものだ。
 しかしそれらを超えて尚不可思議なことが現世で起きる。
 日々が絶望と希望の繰り返しになっていく。
 
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残夏

2008年09月02日 | Weblog
  
 
 先日の冷え込みで、夏物をしまいかけていたのだが、暑さが戻ってまた引っ張り出した。

 農家の人はさぞや大変であろうか。
 無農薬・有機栽培・自然栽培は何よりも、天候・気温に左右されるもの・・・ちょっとでも油断していると、無残な結果になる。

 ハウス西瓜の種を、庭に捨てていたのから、いつの間にやら芽が出て、蔓がフェンスに巻きつき育った実が、大きいのは15cmにはなり、赤く熟れておいしかった。

 その中にピンポン玉大のもあって、孫が保育園に持って行った。
 二つの内1個は中が白く、食べれなかったらしいが、家に持って帰ったもう1個は、表面の色からして食べれそうである。

 切ってみれば赤い。しかもおいしい!へぇ・・こういうのがパックに入って4~5個売れれば、子どもがよろこぶかな?飾り付けにもよさそうである。商品化できればおもしろそう♪

 白枇杷の枝から芽吹いた葉は、まだ軟らかい状態だが、何枚も葉を付けていく。 

 枇杷の木が、再生機能を発揮する所以であろうか。 
 人間でいえば、自然治癒能力でしょうね。ほんとうにすごいんだぁ。

 枇杷を知ることによって、数え切れないことを自然の中から教えてもらえる。
 ネットで調べ、本で調べてはみるが、尚不可思議な未知のことも日々、視ていかないとわからないものだ。

 語りかけ、呼吸を繰り返し、宇宙へと彷徨いだしていくかのようであった。
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二百十日

2008年09月01日 | Weblog
 新学期に、何れも楽しみの運動会。

 大人の思惑を他所に、子どもらのなんと素直なことか。

 時代は違うが、自分もそうであったことに思いを馳せた。

 2週間ばかり、一気に気温低下していたのが、今度は上昇しているのよね。
 物価も上がっているしな。野菜中心、乾物利用でいくしかないや。

 贅沢をする気はないから、これで充分。おいしい井戸水が今のところ頂ける。
 野菜も青空市で買い、近所の方からもらったりで賄える。

 プランターにも栽培できる。何より、無添加・無農薬がありがたいなぁ。♪

 枇杷の伸びた枝が、道にはみ出すので、庭に寄せて留めた。
 昨今の隣人との境界線からややこしいことにならない予防。国境線は遠かった、などとなってはいけないもの。

 昨年は枝を切った。もう少し待って、花芽のつき具合で決めよう。
 白枇杷も赤枇杷も、緩やかな時間の中で、まどろむように天を仰いでいる。

 夏の大三角が名残惜しそうであるが、巡る月日には逆らえない。自然とはそうなんだぁ・・・
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