枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

普通で居る事の基準

2008年09月13日 | Weblog
 先進国の映像は、未来を約束する科学社会。
 数十年前にSF作家らが競って書いた著作に出てくる内容。

 ひげおやじが、下町の自分の家を撤去されかけて言う台詞。
「ほっといてくれ。わしゃここが、この家が気にいっているんだ!!」

 完全完備のゴミ一つとして落ちていない世界は管理しやすい。
 でも、それは管理する側であって、自分の意思からではない。

 常識の線も、普通の基準も、誰がどうやって決めたのかしらん?
 突き詰めて考えていくほどにわからなくなるよな・・。何もない。

 何もないから有に生まれ変われる。
 広大な時間をつなぐ(1分にも満たない)役目でしかない。

 生まれて死んで、次に渡す、これらを単に繰り返す存在。
 してもしなくても、本来の任務外のことでなんら無意味。

 でも何故考えているのか。神の気まぐれによるものか、記憶の断片。 
 一般の施設及び、家屋の便利な科学機械に順応できない体質。

 自然の四季の移り変わりには適応するらしいことが判明。

 クーラーに気管をやられた。免疫低下。
 これでますます収入を得ることから遠のく。

 日本て、生きているだけで金がかかる。
 明日は新暦の十五夜。そろそろ還る時がきているのかな。

 旧正月に見事な雪景色。この後直ぐに、箒で雪を払いました。
 
コメント
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