この枇杷の木は、最初に植えた鉢の苗で、東側の川沿いにある。
そこに木香バラを3本植えたところが、勢い押されて、丈ばかり伸びていた。
そりゃまあ、太陽に向かって光合成ができる場所にいきますわ。
昨年の暮れに、あまりにも茂りすぎた木香バラを思いきって剪定した。
テレビのアンテナはむろんのこと、家を覆う有様に困惑してである。
すると枇杷の木に、花芽がついた。
たった一箇所ではあるが、花は10個ばかりついている。当に、9年目で生った。
実際に実が熟れたのは、たった1個であるが、採った時期もよかったのか、最高の味であった。
大きさも卵大であったからまずまずである。ここに枇杷や木香バラを植えたのは川の側が道路で、丸見えになっているのと、陽射しがきつくて、暑さ凌ぎができないものかと考えてだ。
ここには夏椿もあるが、接木であったのでいつしか普通の椿に転じている。それも光合成の関係で、上に伸びて背ばかり高い。
枇杷も葉を使う目的で、温圧療法に用いている。瓢箪から駒で、実が生ったのだが、枇杷の木は、年数が経てば自然と生ってくるのですなぁ。
で。ここの場所の北側に、白枇杷が植えてある。
南側のもこっちに持ってきてから、すっかり落ちついて育っている。
もう1本ある白枇杷は、来春に移動させることにしているが、どうなるかな?
枇杷に限らず、自然に植わって、自然の中で育っていくのが、自然の姿なんだけども、人間はいろんなことを考えて、無駄なことばっかりしているのだ。
自然に対して人間の成すべき事って、何もないんだよね。
地球の緑が消失していく原因も、人間が愚かにも住みよくしようと考えたから・・・。
月を眺めれる自然に想いを馳せ、兎が餅つきをしてるって、観ていればいいような気がする。
知識をたくさん持っているいることは悪いことではないと思うが、なにかこううまく言えないけれども、不自然な想いが消えないのね。心が空っぽになるっていうか・・・。
そこに木香バラを3本植えたところが、勢い押されて、丈ばかり伸びていた。
そりゃまあ、太陽に向かって光合成ができる場所にいきますわ。
昨年の暮れに、あまりにも茂りすぎた木香バラを思いきって剪定した。
テレビのアンテナはむろんのこと、家を覆う有様に困惑してである。
すると枇杷の木に、花芽がついた。
たった一箇所ではあるが、花は10個ばかりついている。当に、9年目で生った。
実際に実が熟れたのは、たった1個であるが、採った時期もよかったのか、最高の味であった。
大きさも卵大であったからまずまずである。ここに枇杷や木香バラを植えたのは川の側が道路で、丸見えになっているのと、陽射しがきつくて、暑さ凌ぎができないものかと考えてだ。
ここには夏椿もあるが、接木であったのでいつしか普通の椿に転じている。それも光合成の関係で、上に伸びて背ばかり高い。
枇杷も葉を使う目的で、温圧療法に用いている。瓢箪から駒で、実が生ったのだが、枇杷の木は、年数が経てば自然と生ってくるのですなぁ。
で。ここの場所の北側に、白枇杷が植えてある。
南側のもこっちに持ってきてから、すっかり落ちついて育っている。
もう1本ある白枇杷は、来春に移動させることにしているが、どうなるかな?
枇杷に限らず、自然に植わって、自然の中で育っていくのが、自然の姿なんだけども、人間はいろんなことを考えて、無駄なことばっかりしているのだ。
自然に対して人間の成すべき事って、何もないんだよね。
地球の緑が消失していく原因も、人間が愚かにも住みよくしようと考えたから・・・。
月を眺めれる自然に想いを馳せ、兎が餅つきをしてるって、観ていればいいような気がする。
知識をたくさん持っているいることは悪いことではないと思うが、なにかこううまく言えないけれども、不自然な想いが消えないのね。心が空っぽになるっていうか・・・。