枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

無頓着なこと

2008年09月29日 | Weblog
 この枇杷の木は、最初に植えた鉢の苗で、東側の川沿いにある。
 そこに木香バラを3本植えたところが、勢い押されて、丈ばかり伸びていた。

 そりゃまあ、太陽に向かって光合成ができる場所にいきますわ。
 昨年の暮れに、あまりにも茂りすぎた木香バラを思いきって剪定した。

 テレビのアンテナはむろんのこと、家を覆う有様に困惑してである。
 すると枇杷の木に、花芽がついた。

 たった一箇所ではあるが、花は10個ばかりついている。当に、9年目で生った。
 実際に実が熟れたのは、たった1個であるが、採った時期もよかったのか、最高の味であった。

 大きさも卵大であったからまずまずである。ここに枇杷や木香バラを植えたのは川の側が道路で、丸見えになっているのと、陽射しがきつくて、暑さ凌ぎができないものかと考えてだ。

 ここには夏椿もあるが、接木であったのでいつしか普通の椿に転じている。それも光合成の関係で、上に伸びて背ばかり高い。

 枇杷も葉を使う目的で、温圧療法に用いている。瓢箪から駒で、実が生ったのだが、枇杷の木は、年数が経てば自然と生ってくるのですなぁ。

 で。ここの場所の北側に、白枇杷が植えてある。
 南側のもこっちに持ってきてから、すっかり落ちついて育っている。

 もう1本ある白枇杷は、来春に移動させることにしているが、どうなるかな?

 枇杷に限らず、自然に植わって、自然の中で育っていくのが、自然の姿なんだけども、人間はいろんなことを考えて、無駄なことばっかりしているのだ。

 自然に対して人間の成すべき事って、何もないんだよね。
 地球の緑が消失していく原因も、人間が愚かにも住みよくしようと考えたから・・・。

 月を眺めれる自然に想いを馳せ、兎が餅つきをしてるって、観ていればいいような気がする。
 知識をたくさん持っているいることは悪いことではないと思うが、なにかこううまく言えないけれども、不自然な想いが消えないのね。心が空っぽになるっていうか・・・。
 
コメント
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