枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

半死半生

2008年09月20日 | Weblog
  
 ヘルパーの資格を習得したく申し込んでみた。
 その時、心理学とアロマのことも学びたくて資料請求をしていた。

 いっしょに送ってもらえるかと思っていたら、突然連絡があった。
 明日(今日)見学に来ないかと言う。しばし考えて(話ながら)行くことにしたが、どうも黒い塊が視える。

 彼女の勤務先か、或いは自宅か、方位方角もあるには違いないのだが、どうも芳しくない。
 話している最中に、波動が変化して、体が熱を帯びていく。

 彼女は何も感じないというが、結構強いのだ。どうしたものか・・・?いつもの体温(36.2)を遥かに超えているのが気がかり。
 少しばかりアドバイスして電話を切った。
 風邪をひいているからかな?とも思ってはいたが、体温は上昇。

 その一方で、体の芯は冷え切っていくアンバランス。
 寝床に入っても、綿毛布さえ要らぬほど熱くてたまらない。

 真夜中、腹痛に目が覚めた。それから明け方の4時頃まで空嘔吐に悩まされた。
 落ち着いたと思った途端に急激な寒気。

 体が震えるほど寒気を感じて、押入れから冬布団を引っ張り出す。
 それでも寒さは停まらず、銀河が体を温めてくれた。これは明日、行ってはならぬという警告か?

 あたまの片隅でチカチカする点滅ランプ。
 いやいや・・・つきっぱなしの状態である。

 体が自然に還ろうとしているから、教えてもらえたことなんだぁ。
 彼女がパワーを持っているのに気づかないでいるのか、枇杷のことを話したことで、組み込まれて周りはじめたことかはわからないが、可能性はあるかな。

 枇杷の花芽が咲いているのを、玄関に活け込んだ。
 そこらじゅうに馥郁とした匂いが漂ってきて、心が和んでいく。

 9月に剪定というのは、九州地方だけかな?同じ切るなら、花を楽しめるのがいいな。

 今年は柿酢を作ってみようか。
 現代農業に作り方が書いてあったよ。
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未知なるもの

2008年09月19日 | Weblog
 図書館で、福岡正信さんの著作を借りてきた。
 で、読んでいる。ページをめくる度に、様々な宇宙がのぞく。

 それと同時に、自分の周りに、存在するそれらが視えてくる。  

 無は有であり、有は無であるとすれば、存在すらない。
 わからないことがわからなく、わかろうとするから、わからなくなる。

 考えることを止めよ・・・利口ぶったところで、一体何を知っているのだろう?なにもない。
 そこに存在していること事体なんの意味もないことなんだ。

 枇杷の苗が日陰で育たないので、移動させようと手を加えた。
 そこで成しえていた生態系を、人為で壊して破滅させてしまった。

 人間の愚かな行為は自然にはいらぬことであった。
 枇杷の苗も、いろんな人にあげたが、きっと育っているのは2~3本であろう。

 あえて身代わりになってくれたものを除けば、ここに居たかったものばかりだ。
 全てのものに命が宿っている。
 それがここにあることに気づき、天を見上げた。
 
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生きること

2008年09月18日 | Weblog
 生きるために、働いているのか。
 働くために生きていくのか?自然のままに生きることは、自分の口を凌ぐだけ食べればいい。

 草や雑草と言うけれど、食べれないものが地上にあるとは思えない。
 食べることは、命をつなぐことであり、他の命をいただくことでもあるのだ。

 草木といえども命がある。人間はみな、それらの命を自分の勝手で行なっているのだ。
 必要な生きる糧であれば、腹八分ですむ。儲けがからんで、利益・利潤をあげようとするから、大量生産になり、農薬汚染になるのだなぁ・・・。

 これまで微量だと思って口にしていた物も、塵も積もれば山と成るで、体内に毒をせっせと貯めていたんだわ。牛肉を無理して食べなくても済む。野菜だけでも充分事足りる。

 枇杷茶を飲むようになって、体質改善ができて、文明機会にはついていけないが心がゆったりとかようのだ。

 これが自然体なのかな?風邪もセンブリが効いたし、梅のエキスもじんわりとだが体に入ってくる。
 無農薬だから、見かけは悪いかもしれないが、安全、安心、信頼がある。

 天の恵みはありがたいね。これが生かされていることなんだぁ。天は一つ、諸々の神や仏はあっても、頂上は一つしかない。というかこれが無限であろうか。

 長崎に赤枇杷が多いのも、ここに原爆が投下されていることと無関係ではないような・・。
 またネットで枇杷茶を販売している広島にも多い。

 四国八十八ヶ所にも沿岸を覆うように枇杷の木があると言う。
 淡路の震災も、神が知らしめた天罰かもしれぬ。

 ただ人の愚かしさを悟らせたかったような。決してそこに住む人間が憎かった訳ではない。
 人間は、いま自然からの報復を受けているのだから。

 我が家の茂木の赤枇杷は、夏の陽射しを受けて、燦々と輝いている。
 ここにも小さな宇宙が存在しているのがわかる。
 
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医者ぎらい

2008年09月17日 | Weblog
  
 沖縄に台風13号が居座っているとかで、むろん梃子の原理は通用しないらしい。

 なんとなく空気が湿っているところに、体調ダウンの憂き目に遇う。
 しかし医者はきらいである。薬も苦手・・嫁が心配して、孫の漢方薬を持ってきてくれた。

 枇杷茶を飲みつつ流し込む。痰が切れだし、鉈豆酒を嘗めた。
 孫がセンブリだよね、と言うので、枇杷茶で煎れて飲む。

 どくだみも、寒の時期のを乾燥しているから煎れて飲む。
 やれやれしんどかった峠を越す。

 人間は誰しも治癒能力があるから、下手に薬をのむ方が効き目がないかも。
 体力を消耗しただけに感じた。

 千葉の友人が、旅行みやげにマフラーを贈ってくれていたので、喉に巻いて肩にかけていたら、じんわりした自然の温かみが体を癒してくれた。

 今夏旅した場所はまだ発展途上国らしいが、のんびりとした田園風景と、時間のゆっくりとした生活に心が新鮮であったそうだ。

 そこに生きている人々の手織りの品々だから、体にまとっても不快でなかったのだろう。
 坂田靖子の、『アジア変幻記』を取り出して読んでしまった。

 実は、彼女といっしょに旅してきた。
 またそれを、未来から中継するように彼女の父上に幻想として視せたらしい。

 医学的な見解は知らないが、それがわかっていたのだ。何故かは不明。
 やろうとしてもできない。その人の安否や生死を想像を超える感覚で想わないと・・・。

 で、それをした直後は、意識低下。疲労困憊。自分の命と引き換えることは、しょちゅうやれないの。
 でも、誰かがパワーを継ぎ足してくれる気配がある。
 ここだけ違っているんだなぁ。

 北側の、水道の蛇口下。左側から発芽して、3本あります。
 種は、淡路田中だったか、自生の枇杷をもらったのだったか、畑に作っているもらった枇杷だったかわからない。

 1年後になれば、葉の状態で見当つきますが。
 その内、枇杷屋敷って呼ばれるよね。
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無農薬

2008年09月16日 | Weblog
 昨年の淡路枇杷の種が発芽して、3ヶ月では15cmほどだったのが、冬越しに糠と塩とで、春先から一気に大きくなった。

 鉢も直径が30cmはある物に植えているが、あっという間に丈が伸びた。
 見れば葉も優に40cmは超えているのだ。

 濡れ縁の側に置いたのは、夏の時期に簾代わりである。
 風の通りもよかろうと・・・。しかし、虫の集う場所にもなった。

 葉が広がらないで、巻いていくのには、蟻が卵を産みつけたり、それを蜘蛛が餌にしていたりと、自然の営みが繰り出されていく。

 てんとうむしがバラに飛んでいく。
 狭い庭の何処に住めるのだろうとは、人間の考えで、彼らにとってはなんということはない。

 家そのものがないんだもの。
 日がな一日何をするともなしに、見ているのが楽しくなる。

 人間であることが何も意味のないことに思える。
 資格というのはなんだろう?単に学校に行っていれば、その証なのかしら?

 それが生きることとは違うと思うが、学ぶということは、自然から教えてもらえることで、これは本人がその気にならなければできないことだと思える。

 社会の仕組みがこれとは違うから生きにくい。
 無資格であれば、何もしてはいけない、というが生まれながらに、その力を与えられているものもいよう。

 枇杷がそうなのだろうな。
 あらゆる生き物が、そこによってくるには、本能の導きに他ならない,そんな気がした。
 
 sonnna
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命の源

2008年09月15日 | Weblog
 朝起きて、新聞を読むのが怖い、ことがある。
 はけ口のない想いが、空気を伝わって走り抜けると必ず何かが起きる。

 そうならないように、パワーをコントロールしているが、止められなくなるときがある。
 制御不能。舵が、抑制が吹っ切れて翔ぶ。

 事件事故が載っている。
 自然は自分さえ裏切らなければそのままにある。

 人間はなんという業があって、計り知れない罪深き生き物か。
 心を持ち、考える事をするからだろうか?

 自然との共存には、無しかない。
 ソクラテスも、プラトンもそれが真にわかっていたなだろうか?答えがあるのか、ないから探していくのか・・・。

 白枇杷の葉が、軟らかく小さい。
 思わず触れそうになって、心を遮断した。

 見守ることのなんともどかしく危ういことだろう。
 赤枇杷に来ている生き物は、そこでじっと癒している。

 こちらが何もしないのを感じ取って動かない。
 言葉は必要でなく通じる。なんだろう?でもそこに感じる。

 会社勤めをしていた時、わかるからしていた。
 言わないことがわかるのは、精神をずたずたにするんだよな。

 生きているのがしんどい。後何人救えば、とりかえられるかな。
 

 枇杷茶を井戸水で沸かすようになって、ローションも品質が違うらしい。
 これは今夏、拙宅にお出での方が、使ってみられてわかったこと。

 花芽茶で香りもいいようです。
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収穫のよろこび

2008年09月14日 | Weblog
 今年の枇杷の収穫量は、昨年とほぼ変わらずであったが、有機肥料やこまめにしたわりには、変化なしであった。
 却って、何もしないでいた昨年の方が、甘酸っぱくておいしかった。
 ???昨今亡くなられた自然農法を提唱される、福岡正信さんをご存知だろうか?

 今読んでいるのは、『わら1本の革命』という著作だが、何もしないこと。
 自然のことは自然に任せる、これはほんとうに衝撃!!

 でもそれがあたっているんだな・・。
 活字の中に込められた想いが、静かに流れ込んでくる。何もなくてもできることがある、ということに驚きがひろがった。

 この人の本には以前出遭っているが、(PCをしてみないか、と勧めた師匠)さほど関心がなかったもので、『奇跡のリンゴ』がきっかけで、読み始めた。

 今年の枇杷の味が昨年より落ちた原因は、たくさん採りたいとおいしくしたい、の浅はかさである。
 これは枇杷の木に対して、失礼極まりない。だからしっぺ返しをされたのだ。

 但し、父も母も知らないし、店頭で売っているのに比べたら、断然うまいのだから。
 自分自身の身勝手さで、作っていると錯覚しがちだが、枇杷の木に、作ってもらっておすそわけをいただくのだ。

 勘違いをしていたことおびただしい限りだ。枇杷の木だけでなく、自然と話ができていないと、何も実らせてはもらえない。

 生きざまというか、神によって(宇宙の創造主)生かされていることの不可思議さに戦慄を覚えた。

 長崎・茂木の赤枇杷。最初の結実は4年目だったが、まさか?と放置。
 鴉が喜んで食べていた。

 次の年も、花の香りがわからなく、結実する過程も知らなかった。
 翌年、やっと枇杷の花芽や、そこから結実するのを知って、収穫した。

 枇杷の大きさもチャボの卵大であったが、味は濃厚で果汁はしたたっていた。
 
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普通で居る事の基準

2008年09月13日 | Weblog
 先進国の映像は、未来を約束する科学社会。
 数十年前にSF作家らが競って書いた著作に出てくる内容。

 ひげおやじが、下町の自分の家を撤去されかけて言う台詞。
「ほっといてくれ。わしゃここが、この家が気にいっているんだ!!」

 完全完備のゴミ一つとして落ちていない世界は管理しやすい。
 でも、それは管理する側であって、自分の意思からではない。

 常識の線も、普通の基準も、誰がどうやって決めたのかしらん?
 突き詰めて考えていくほどにわからなくなるよな・・。何もない。

 何もないから有に生まれ変われる。
 広大な時間をつなぐ(1分にも満たない)役目でしかない。

 生まれて死んで、次に渡す、これらを単に繰り返す存在。
 してもしなくても、本来の任務外のことでなんら無意味。

 でも何故考えているのか。神の気まぐれによるものか、記憶の断片。 
 一般の施設及び、家屋の便利な科学機械に順応できない体質。

 自然の四季の移り変わりには適応するらしいことが判明。

 クーラーに気管をやられた。免疫低下。
 これでますます収入を得ることから遠のく。

 日本て、生きているだけで金がかかる。
 明日は新暦の十五夜。そろそろ還る時がきているのかな。

 旧正月に見事な雪景色。この後直ぐに、箒で雪を払いました。
 
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枇杷の葉

2008年09月12日 | Weblog
 今日は、湿度の高い薄曇りの天気。
 午前中は、敬老の日を考慮しての家族参観日でした。

 間地かに運動会もあるので遊戯用の三角帽の製作。
 孫はオリジナルの帽子にいたくお気にいり、まではよかったのですが、みんなといっしょに行動できなくなって、声を殺して泣いている。

 先生の対応は何も不備はないのに、ただただばぁばと離れたくない、としがみつく。
 まるで蝉です。

 大勢の前で泣かすのに不憫なのと、いじらしい姿にだっこ♪
 安心してか全身を預けてくる。と同時に、お世話をしてくださる先生方に感謝。

 自分の子どもでもないし、一人ではないのを、給料もらっているだけではできない。
 資格を持っているプロという枠を越えて平等に、個々の性格を感じ取ってしてくださる姿勢に頭が下がった。

 現場の子どもと同じ目線って、やってみないとわかんないよ!偉そうに原案ばかり練ってないで、遊んでもらいな。って、○○大臣らに言いたくなる。

 まあ、子どもは一人も近づかないでしょうけどね・・・

 垣根にしている野ぶどうが、熟れておいしそうなので採ってみた。
 甘い!ブルーベリーみたいなものです。但し、果肉はほとんどなし。ジュースをスポイドで飲んでる感じです。これが甘くなった理由は、塩です。

 結界を張るのに、塩で清めていますから効いたのでしょう。
 孫は、学校に持って行って、みんなに食べさせてあげる、と張り切っていきましたが?天災は忘れた頃に来るのです。

 季節を問わず、自分で生きていけれるように工夫するのも、天才のなせる業ですね。

 白枇杷の葉、斑点が出たものですが、もったいないから切ってお茶にして飲んでいます。
 家で飲むには充分な量です。
 
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香木

2008年09月11日 | Weblog
 地球上には、花は元より、木にも、人間や動物の気持ちを和らげたり、エネルギーになる種類がある。
 
 個々の好みや趣向は別として、古くから用いられてきた。

 その独特の匂いを、かぎ分けて働く蝶や蜂の類。
 人間で言えば調香師。

 枇杷はバラ目バラ科ビワ属の分類になっている。
 枇杷の花が、目立たない薄茶色の産毛に覆われていて、白い可憐な花弁を広げても、まさかと思う。

 おとなしく控えめ。金木犀がまるで黄金の輝きを放ち、何処にいてもそれとわかるのと違い、銀木犀や、柊、枇杷は、気に留めていなければ、わからない香りである。

 枇杷の新芽が出てき、葉が硬くしっかりとし始めると、その真ん中に薄茶色の小さな塊が見え出す。
 これが月日と共に、大きく膨らんできて、11月中旬頃から咲き出す。

 満開になるのは12月下旬から翌年にかけてだが、部屋中に挿して、馥郁とした香りを焚き染める。
 鮮やかな印象を与えるのではないのに、精神の箍を外していく。

 また、体中にエネルギーを溢れさせてくれる。
 肉体は仮の宿である、と彷徨し始め、静かに宇宙を漂う。

 昨年出ていた枇杷の苗が、どういう訳か枯れた。
 誰かの身代わりになったのだ。

 夏場に、場所を動かすのは厳禁?同じに動かしても枯れないで新芽が吹き出したのもある・・・。
 昨日、苗を確認したら、10本ありました。
 
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