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日本遺族通信 6月の九段短歌

2010年06月22日 19時19分19秒 | 日本遺族通信

        
              平成22年6月 靖国神社社頭に掲示された遺書
                東京都出身 陸軍兵長 大瀧 一郎 様
             昭和20年6月14日 フィリピンにて戦死 合掌

この度の 「遺言」 には年齢が記されておりませんでしたが、お子様達に遺されたお言葉でした。
父からの手紙かと思うほどに、悲しみの中にも懐かしさを感じ、繰り返し拝読させていただきましたのでご紹介させていただきます。
                       遺  言
産業戦士として比島へ赴任するとは謂ふも現戦局は皇国未曾有の機局に直面し居る秋(とき)に当り赴任する故に軍人と何等変らざる覚悟を以って壮途に就くものなり。
幸にして途中無事故にて任地に到着の上は一死報告の誠を以って一意増産に奮励するものなり。
その時と謂ふも父は御前達兄妹の事を毎日無事で健やかに大きくなるやう祈っている。

父は3年比島で勤務すると懐かしい御前達の元気な顔を見に帰って来られる筈であるが然し、此の戦局が有利に終らない限りは何年でも帰って来られないが、御父さんが
留守である時は
御母様や御老父さん御老母さんの云う事を良く聞いて立派な人にならやうに言行一致よく勉強してくれ。
それのみを祈ってゐると共に御前達の躰の上には何時何処ででも目に見えない御父さんの魂が御前達の無事を守ってゐるぞ。    (中 略)
  比島赴任にのぞみ
昭和19年8月6日                                 父より

お父様からのお言葉を励みに懸命に生きてこられた兄妹様のお幸せを心からお祈り申し上げております。

後程ご紹介の九段短歌に
  若くして戦死せる父世にあらば百歳となりわれ古稀を迎へる   と詠まれた同年代のお方に思いを寄せ、

  骨でなく木札一枚音のみす国のためとて悲し悔しき       と詠まれたお方は少し先輩と存じました。
私は母が抱いた白木の箱の意味がよく分からない年齢でしたが国のためとて悲し悔しきは人並みの幸せに穏やかに暮らす今もこれからも生有る限り悲しみは頭から離れません。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたのでご紹介させて頂きます。お目を通して頂けますれば幸に存じます。

     軍服の父の遺影の寂しげな顔みる度に心偲びゆ          甲州市 女性
     身ごもりを知って征きし南方へ奇跡にすがるはたちに二つ     東京都 女性
     若くして戦死せる父世にあらば百歳となりわれ古稀を迎へる    長野市 男性
     手を引かれ散歩せし事残るのみ叔父はレイテに戦死の報を受く   久喜市 女性
     戦争をやめよといくら叫べどもこの世に戦火の尽きる日はなし   青森市 男性
     僕七つ兄ちゃん戦の服を着て村の祭りに笛吹き征けり       上越市 男性
     骨でなく木札一枚音のみす国のためとて悲し悔しき        篠山市 男性
     還らざる兄と語りし召集令夢覚め今日も想は消えぬ        京都市 男性
     やうやくに結願叶ひ海青き平和の礎の父の名に会ひ        磐田市 女性
     取り縋り抱き上げられて頬擦られ散華の父を夢にみて泣く     尾道市 男性
     遠き日に赤紙受けて往く亡父の軍港舞鶴の海は藍いろ       氷見市 男性
     古稀迎へ戦争遺児の苦も薄れ数多の人に感謝する日々       千葉市 私

コメント (9)
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