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下総三山の七年祭り開催 その2

2015年11月01日 17時17分40秒 | 千葉の事

七年祭りに参加される千葉市花見川区幕張町の子守(こまもり)神社参拝

10月31日(土)竹矢来で作成された「産屋」見学後、近くの子守神社を訪ねました。


              子守神社の八幡鳥居                      子守神社の境内


    式典に向かう準備完了の子守神社の御神輿(ガラス越しに許可)               力強い文字に

子守(こまもり)神社由緒書
【鎮座地】
 

  千葉県千葉市花見川区幕張町二丁目990番地
   JR幕張駅・JR幕張本郷駅・京成幕張本郷駅 各駅より徒歩20分
   京成幕張駅より徒歩18分
【祭神】 
   建速素蓋鳴命(たけはやすさのをのみこと)
   奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
   大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))
【神 木】 
   大銀杏(境内向かって左手 推定200~250年 雄木)
【由緒】 
当神社の創設については不明であるが、最古の記録には次のよに書かれている。
千葉介平常胤(ちばのすけたいらのつねたね)の四男・大須賀四郎平胤信(たねのぶ)が、父よりこの幕張の地を譲り受けて城を築いた。
建久4年(1193)5月、 源頼朝の命により富士の御狩場に赴く際に当社へ析願し、良い成果が得られた。その御礼として社殿を造営し、胤信の次男・中須加神太夫平正胤(まさたね)をその社司神家とし、武運長久(ぶうんちょうきゅう)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、郷中家内安全並びに氏子家内安全諸析願をさせた。
当初、馬加(まか)城近くの本郷須賀の元社逢坂に鎮座していたが、氏子が浜辺へ移住すると共に、永正5年(1508)現在の地に遷宮した。
当社名は建速素蓋鳴命(=素加湯山主弥那佐呂彦八嶋篠尊(すかゆやまぬしみなさろひこやしましののみこと))の名から「素加天王(すかてんのう)神社」とされていた。
その後、磯出神事の際に祭馬が数多く集まったことから「馬加神社」、磯出神事の役割から「子守(こまもり)神社」となったようである。   
             

コメント (6)
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