ご紹介の著者は、歌友Sさんの従弟さんです。
第一章 高田松原と奇跡の一本松
奇跡の一本松との出会い
東日本大震災後、陸前高田を全国的に有名にしたのは高田松原周辺で唯一残った奇跡の一本松だった。
翌2012年2月、奇跡の一本松の近くに、こんなこんな立て札が現れた。
「一本松の願い、少し休みます。枯れても切らないでね。変わったかたちで甦りますから」
だれがこの立て札を立てたかはわからなかったが、奇跡の一本松に希望と勇気をもらった陸前高田市民のひとりと推測される。
市民の多くが奇跡の一本松の行方を心配していたのである。・・・ に始まり
津波バイオリン http://mainichi.jp/classic/articles/20160501/ddl/k25/040/316000c
「津波バイオリン」は東京のバイオリン製作者、中澤宗幸さんが津波の惨禍に突き動かされて作った。
響きを左右する胴内の魂柱(こんちゅう)には岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の部材が使われ、裏板に一本松の絵が描かれている。
これまでに4丁作られ、世界で演奏リレーされているという。 (HPより転載)
第二章 それぞれの大震災
画家として再出発 鷺悦太郎氏(著者の友人) http://sagiwebgallery.life.coocan.jp/profile.html ・・・に始まり
第三章 死者を悼む
東日本大震災でSさんのお兄さんをはじめ、多くの親戚知人を失った現実に向かい合い、悲しい記憶を辿りながら後世のために記録を
綴られておられます。
第四章 宮沢賢治と大船渡線
一ノ関駅から大船渡線に乗って約30分。陸中松川駅で降りると、すぐ近くに「石と賢治のミュージアム」がある。
かって宮沢賢治が晩年に働いた東北砕石工場の内部を見学でき、賢治が働いたようすを伝える展示もある。
「石っこ賢さん」を呼ばれたほど石が好きだった賢治だが、この博物館は鉱物関係の資料も充実している。
「石と賢治のミュージアム」としてオープンしたのは1999年(平成13年)4月3日のことだ。・・・と綴られ、原敬と大船渡線などなど
歴史上の人物との関わりも教えてくれる著書でした。