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平成28年 第56回 白扇書道会展開催

2016年08月13日 00時57分46秒 | 書道

白扇書道会
昭和27年に、種谷扇舟先生(1914~2004)が、書を通して豊かな人間の育成を目的として設立されました。
以後、60余年、展覧会、出版、講習会、研究会などを行い、書の普及、振興と、書を通した文化交流にご尽力頂きました。
先生は小学校12年、中学校8年、高等学校17年、大学20年、社会教育5年にわたるご指導をされました。
現在はご子息様を中心に種谷扇舟先生に教えを頂きました多くの先生方によって継承されております書道界です。


     平成28年度目録「書」の揮毫は故種谷扇舟先生          初代会長種谷扇舟先生と遺作(80歳時)

原拓書道史(篆書・隷書特集)
故種谷扇舟先生は昭和40年に初めて訪中をされて以来、多くの訪中歴を数え、白扇会展に於いて「黒龍江省書法篆刻作品展」を併催し、
訪日団をお迎えしましたり、日中両国共通の芸術であります書道を通して交流を行っていらっしゃいました。
その折々に求められました多くの拓本は毎回白扇会展に展示して頂きましたが現在も継続展示して頂き、千数百年前の古代文化の石碑が
時空を超えて原石を見る以上の臨場感で再現され、会員はもとより、来訪者の皆様も大切に足を止めてご覧頂いております。
故種谷扇舟先生の拓本の保存数は全国の中でも多いのではとお伺いしております。
拓本の一部をご紹介させていただきます。

朱拓は 碑を刻んだ最初に採るもので特に貴重です。

  我が師は貴重な朱拓の「西狭頌」を臨書されました


   先生方の展示会場 遺作 種谷扇舟先生    師 市川蘭華先生作品           師 市川蘭華先生の「西狭頌」

先生の作品 「西狭頌」(せいきょうしょう)について(HPより)
漢の三大摩崖頌といわれておりますのは西狭頌(せいきょうしょう)、郙閣頌(ふかくしょう)、石門頌(せきもんしょう)です。
時代:漢隷の比較的末期のものです。(AD 171年)
場所:西狭頌は、甘粛省成県にあり、巌壁に刻した摩崖です。
特徴:自然の岩を磨いて書刻した摩崖碑であるためか、比較的荒削りで、雄大、敦厚、 飄逸な趣があり、曹全碑のように整いすぎていない。
書法:思い切って扁平な構えなっているのに注意します。
     用筆は、紙に食い入るように力強く筆を押し進め、主要な横画の終わりでは、 一旦筆を止めて充分に鋒を開いてから右上にはねて 波法を作ります。


                                  先輩の皆様の展示会場

             特選に輝いた皆様の作品     お仲間の現代詩文書作品

                         記念賞に輝いた先輩皆様の作品

                 
学校・塾で学んだ小・中学生の作品も所狭しと展示され、8月11日(木)山の日に両親とご一緒にご自身の作品に魅入っておりました。


                            素晴らしい「馬車」は知人のお孫様の作品

                 項  目    出品点数     鑑査員の賞の種類   入賞者数
              
                総出品点数   763         総入賞者数       248            

平成28年度より鑑査員へ推薦を頂き、用紙も全紙聯落(れんおち)53×136.3の大きさに戸惑いながら初めて現代詩文書に挑戦しました。
初めての書法に納得出来る作品が書けませんでしたが、鑑査員197名の1人に名を連ねて頂きましたことに励みを頂きました。


                          「藤村詩」と題して初めて現代詩文書に挑戦も残念!入賞ならずでした

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平成28年 戦後71年長崎原爆忌・平和祈念式典(TV報道による)

2016年08月13日 00時49分32秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                                 平和祈念式典 平成28年8月9日(火)午前10時35分開始    気温
                会      場 長崎市平和公園
            原爆の犠牲になられました長崎
市民の多くの御霊に哀悼の誠を捧げます。 合掌


    昭和20年8月9日 午前11時2分 恐ろしい原爆投下            昭和20年8月10日の長崎の街

「平和祈念公園」
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。

「平和祈念像」
長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。
制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。
毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。


                     式典のはじめに紹介された「ひまわり」の会の皆様


        
式典の司会を立派に務められた高校生            午前11時2分 原爆投下の時刻に鳴らされた長崎の鐘




                       「平和宣言」 をされる 長崎市 田上富久市長


                     「平和宣言」 をされる 長崎市 田上富久市長
            「長崎の被爆遺構」 のご紹介 http://mainichi.jp/articles/20160809/ddm/005/070/008000c
 
被爆70年を前に被爆遺構の保存を求める声が市民の間から改めて高まり、13年に旧城山国民学校校舎など4件が国の登録記念物になった。市民の熱意に押される形で長崎市も、保存のための工事費の半額補助など国の手厚い支援を得られる国史跡への指定を目指し、有識者による調査検討委員会を設置。
学術的・歴史的な価値をまとめ、爆心地を加えた5件の指定を国に求め、今回の答申につながった。被爆遺構が長崎市内に点在していることを知った。

国史跡の対象は、(1)旧城山国民学校校舎(2)山王神社二の鳥居(3)爆心地(現在は平和公園)(4)旧長崎医科大学門柱 (5)浦上天主堂旧鐘楼−−の5件。

黒焦げの少年」身元判明か 長崎原爆 妹2人名乗り出て鑑定 「71年かかりやっと会えた」

HPご紹介 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/251602 

今なお世界の各国では戦いの悲劇を続けておりますが戦争で得るものは皆無です。悲劇のみです。長年築きあげた歴史も建造物も友情もすべて失います。
未来に向けて全世界の平和を祈る戦争犠牲者の悲痛の願いです。

ここに、TV報道から頂きました映像に、悲惨な過去に思いを新たに致しますとともに犠牲になられました多くの御霊に哀悼の誠を捧げます。合掌

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