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「じゅん散歩」に千葉県野田市醤油の街の紹介

2020年08月30日 17時27分57秒 | 千葉の事

「じゅん散歩」に「全国屈指の醤油産地”野田市”」を紹介をしてくれましたので保存させて頂きました。
「野田市」について(HPより)
千葉県北西部の東葛地域に位置する人口約15.2万人の都市雇用圏における東京都市圏健康都市連合加盟都市[1]
江戸川利根運河水運で栄えた醤油五大名産地の一つ[2]。醸造関連遺産は近代化産業遺産に認定されている。
                                              野田市は鼻の所

        野田市は「チーバくん」の鼻の黒い所です                   千葉県マスコットキャラクター「チーバくん」
                                                  (お誕生日:平成19年1月11日)
                                               横から見た姿が千葉県の形をしています。
千葉県に住む不思議ないきもの。好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦するのが大好き。
未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわき、からだが赤く輝く。食いしん坊でいたずら好きな面も。

「全国屈指の醤油産地の散策」開始です。

野田のしょうゆづくりは、記録上では1661年(寛文元年)、野田に隣接する上花輪村(かみはなわむら)の高梨兵左衛門家によって開始されました。
その後、茂木七左衞門家が1766年(明和3年)、みそ醸造から転じてしょうゆづくりを始めました。

その後茂木家の分家も、それぞれしょうゆ醸造を始め、さらに大塚家、竹本家、杉崎家なども創業しました。
そして 1824年(文政7年)には、野田の「造醤油仲間」は19軒になっていました。野田は、銚子などより遅れてしょうゆ造りが始まりましたが幕末には関東第一のしょうゆ産地として発展しました。

伝承によると、野田のしょうゆは永禄年間(1558~1570年)に飯田市郎兵衛が、溜しょうゆをつくったのが起こりであるといわれています。
1917年(大正6年)、茂木・高梨一族および、流山の堀切家が合同して「野田醤油株式会社」(現キッコーマン株式会社)を設立し、野田は全国一のしょうゆ産地として、今日に至っています。
野田には、同社の他に「キノエネ醤油株式会社」などがあります。

                     HPのご紹介  https://www.kikkoman.co.jp/soyworld/museum/area/noda.html


               野田市醤油発祥地碑                                 史跡由緒


             キッコーマン醤油は大正6年創業                             工場内部


                       珍しい醤油羊羹ですが友人から頂きとてもさっぱりといいますか美味しく頂きました
 次は郷土博物館 → 市民会館 → 旧宅などへ


                          郷土博物館に続く壁の色にビックリ!するじゅんちゃんでした
弁柄色べんがらいろ
暗い赤みを帯びた茶色のことです。 「ベンガラ」とは、土中の鉄が酸化した『酸化第二鉄』を主成分とする顔料で、染料だけでなく、食料としても多く使われています。
インドのベンガル地方で良質のものが取られたことからベンガラ名がつきました。紅柄、紅殻と書かれることもあります。


             野田郷土博物館は昭和34年に開館。 郷土の歴史や文化に関する資料が豊富、特に醤油関係資料の豊富さは他に例がない。                              


                                   野田市郷土博物館の展示品


             市民会館 茂木佐平治氏の住居跡                            市民会館の玄関
醤油醸造家、茂木佐平治邸として大正13年1月頃に完成した。昭和31年市に寄付された屋敷博物館。緑の広い庭園に囲まれた純和風のたたずまいになっており、市民に部屋の貸し出しも
行なっているそうです。

                 市民会館の庭園                                市民会館の長い廊下

「茂木本家住宅見学へ」
茂木本家は
江戸時代から野田の地で醤油醸造を営んできました。茂木本家住宅は十一代茂木七左衞門氏が宮大工の流れを汲む建築家の佐藤良吉氏に設計を依頼して、関東大震災後の大正15年(1926)に
建築されました。
書院棟と居住棟及び玄関棟から構成され良質な和風住宅である主屋を中心とし、南に庭園、東側に南蔵・北蔵、西側に旧仕込倉や旧米倉、稲荷神社、北には旧漬物倉や旧門番棟が配され、周辺
は北側道路に面する正門、柿渋を防腐塗料に用いている板塀と、経済産業省により近代化産業遺産に認定された煉瓦塀で囲まれています。
大正15年の建築当時(一部それ以前の建造物が含まれますが)の建造物がほぼ遺されており、昭和初期の醤油醸造家の住宅としての要素の全てがこれだけまとまって遺存している例はなく、
貴重な建造物群です。平成22年に主屋をはじめとする歴史的建造物等13件が国の『登録文化財』になりました。
現在も所有者と家族の方々の生活の場となっておりますので、内部は見学できません。

       近代化産業遺産に認定された煉瓦塀で囲まれています                       茂木本家住宅の正門


                 広い日本間                             日本間に隣接する縁側から庭園を眺める


          現在は将棋名人戦などが行われている日本間                     茂木本家美術館もオープンしております

「茂木本家住宅見学~野田銘菓のお店訪問へ」
 
                                                     珍しい「樽最中」の製造中


           1848年創業 野田市丸嶋屋の和菓子                     珍しい丸嶋屋の「樽最中」1個151円

醤油の街を後にして「桜木神社参拝」へ

           平安時代創建 市内最古の神社参拝へ                        春は美しい多くの桜に彩られますと


                            春には「ベニシダレ」の美しい競演が見られますと


             心身の浄化を図るため懐かしい「ケンケンパー」に大地を踏みしめ、厄玉を厄にぶつけて厄をはらう事を目的とする行いと




             珍しいお守りのご紹介を頂きました                      美しい10月桜のご紹介がありました


        醤油の街 野田市の散歩は4500歩と表示されました               本日の一歩一会は桜木神社の宮司さんを描かれました

わが千葉県野田市をご紹介頂きましたことに感謝を申し上げております。
詳しくご紹介頂きましたので一時間ほどは要したのではと思いますが、TVに収めるためにいろいろとご苦労がおありと思いました。
私は、2007年(平成19年)6月3日()53名参加の歴史倶楽部 野田市の旅に参加を致し「キッコーマン・もの知りしょうゆ館」に参りましたので、この度のご紹介を懐かしく
拝見させて頂きました。
又、2007年6月4日(月)から2年間改修工事の為に閉館するという「上花輪歴史館」を前日に訪ね、美しい庭園の散策に最後の美味しい柏餅を求めたことは記憶に残る旅となりました。
その後の「上花輪歴史館」は?と、時々思い出しております。 
     
                    過去ログ    https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/d/20070616 
                         2007年06月16日 醤油と歴史と文化の街 "千葉県野田市” を訪ねて  
              

コメント (6)
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