◆「暗夜行路」を執筆した志賀直哉邸跡書斎とは
志賀直哉邸跡書斎は、大正10年に志賀直哉が設計。我孫子(市)の大工、佐藤鷹蔵が建てました。
志賀はここで長編小説「暗夜行路」を執筆しました。その後、書斎は他所に移築されましたが、昭和62年に市民の手によって、元あった緑雁明緑地に再び移築。
我孫子市の歴史を語る上で重要な文化財であることから、平成23年に我孫子市の市指定文化財となりました。
我孫子市のホームページによると、この書斎について以下のとおり掲載されています。
“修復箇所は建物内部では、天井・壁・障子などで、外部では軒ひさしなどです。志賀直哉は書斎の建築時に、できるだけ高級な木材を使わず木の肌や虫食い跡などを活かした簡素な建物づくりを
目指したと伝えられており、こうした思いを踏まえて修復に際しては現在使われている木材などはできるだけ活用し、志賀直哉が使用していた当時の雰囲気を壊さないよう細心の注意を払って行って
いきます。”と。
我孫子(あびこ)市指定文化財 志賀直哉邸跡書斎 我孫子(あびこ)市の位置の案内
「我孫子(あびこ)市」は
千葉県の北西部、北は利根川、南は都心から一番近い天然湖沼「手賀沼」にはさまれており、東京都内から約30キロメートル圏に位置しています。
平成27年3月にJR上野東京ラインが開業し、我孫子-東京間は最速38分で結ばれています。
上記の新聞記事に「あっ、歴史倶楽部で見学したところ」と早速記事をめくってみましたら開催の案内に「我孫子市では大正時代の白樺文人たちの手賀沼湖畔での暮らしに思いを馳せます。」
と確かに紹介されており、高台に建つ「志賀直哉邸跡書斎」も見学しました。
しかしながら残念!その折に見学の写真、記事が記載されておりませんでした。多くの皆様と貴重な見学をしましたあの日を思い出すために11年前の一部を綴ってみました。
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成23年7月度定例会
「開催のご案内」 より
7月定例会は“醤油のふるさと野田”で醤油のルーツを学んだあと、旧茂木佐邸(現市民会館)の凛とした佇まいに触れ、柏市では一昨年から公開され昨年末、国の重要文化財に指定された
豪農旧吉田家住宅と、関東三弁天の一つ布施弁天を訪ね、最後に“北の鎌倉”と呼ばれ多くの文人が愛した我孫子市では大正時代の白樺文人たち の手賀沼湖畔での暮らしに思いを馳せます。
以上のご案内に、大勢の会員の皆様が参加されました。
7月12日 (火) 気温 参加者52名
7月15日 (金) 気温 参加者42名 (この日に参加をしました)
7月 18日 (月・祭日) 気温 参加者53名 計 147名
キッコーマンしょうゆ館見学 7/15日参加者 茂木佐平治家旧宅 (現市民会館)
茂木佐邸庭園入り口 茂木佐邸庭園の一部
夫にも伝えました。
私は奈良にあります志賀直哉旧宅には行ったことが
ありますが、安孫子にあることを知りませんでした。
歴史俱楽部で貴重な文化財が見られてよかったですね。
趣味の油彩は旅行の作品が描けなく残念ですが、
身近なものを描いているそうです。
志賀直哉旧宅は確か中は見学できなかったと思いますが、
写真は撮った記憶がありますのに全く綴ってなく残念に思いました。
近くには大正時代の白樺文人たちの記念館も見学いたしました。
旧宅の高台から眺めました手賀沼湖畔の景観は素敵でした。
ぜひそのほかに、ぜひ読んでいただきたいブログがあります。もう14年もむかしのブログです。
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/s/Sleepy+Lagoon
湯川れい子さんがフィリピンで戦死されたお兄さんのことを語ったことのブログです。
今年もよろしくお願いいたします。
湯川れい子さんについて
初めて学ばせて頂きました。
ありがとうございました。
昨年の短歌教室に「白旗を持った少女」の記事を印刷して
持参し、歌友たちが真剣に学んでおりました。
湯川れい子さんについても印刷させて頂き歌友と学びたく思っております。
今後ともご指導の程、宜しくお願い申し上げます。
yahooの検索で「湯川れい子 兄」と打つと、次の記事が出てきます。
https://fujinkoron.jp/articles/-/678
okoさんのお父様と同じフィリピンで戦死されていることから紹介しました。
良いクラブにお入りになって活動されましたね。
今でも、この回で元気に活動されているのですか!?
一人では億劫、みんなで渡れば怖くない・・・・大勢いますと勇気が出ます。
最近は、チョイとしたことから、コロナコロナでクラブも中止になって・・・・・・。
早くコロナが収まってくれること祈るのみです。
、
皆様お変わりありませんか、10年前の記憶の中に懐かしい記事発見、okoさん有難うございます。
オミクロン株コロナ、あっという間に蔓延。
掛かり付けの病院に行ったら、3回目の接種は未だ詳細不明とか。
「湯川れい子 兄」の記述を拝見いたしました。
お父様も山本五十六氏とご縁筋の立派な軍人、過労から病死と、
お兄様はルソン島にて戦死、ご遺骨は還らず、ルソン島は多くの悲劇を生みました。
フイリピンのカリラヤの日本人墓地には50万余柱が祀られております。
父は海軍最後の戦いの昭和19年、レイテ沖に「鳥海」と眠っております。
2000年にカリラヤ日本人墓地に墓参の機会を頂いております。
後日判明ですが、撃墜された「鳥海」には艦長のみがマストにくくられ
父他959名は他の船に移乗後に撃墜され「鳥海」乗員全員戦死とされております。
「千葉県生涯大学」に2年連続落選に、3年目は新たな千葉実年大学に応募、合格。
講義は2年間でしたが「良いクラブに・・・」↑ハイ!倶楽部は永久と言うことに
当時の会長様のご尽力に敬意を表し、入会させて頂きました。
現在は当時の会長様のご尽力でゆっくり散策の出来ます同好会発足に
名前を連ねさせて頂き、佳きお仲間と交流を深めております。
ただしコロナ禍の2年間は休会に残念に存じます。
上記↑野田・柏・我孫子の旅 (nagai)様のコメントはi元会長、現在同好会長様です。
ブログは (nagai)元会長様のご尽力に敬意を表して2005・11・06開始。
1年1回の1泊2日の「陸奥の旅・義経の足跡を訪ねて」でした。
長い間貴重な歴史散策を経験できました事に御礼を申し上げております。
しかし、この度の志賀直哉邸跡書斎、記念館について省略してしまい
とても残念に思っております。
勝手な言い分ですが、当時は歴史倶楽部のHPが立派に綴られておりました事に
皆様には「歴史倶楽部のHPをご覧ください」と綴っておりました。
野田 の旅 、懐かしい ですネ。
歴史クラブ の写真 を 出して 思い出し てます(^。^)
あの頃は 若くて 元気 でし たね〜 。
皆様 オミクロン に 負けずに 頑張り ま しよう ね 。
当時の思い出の写真や記事を懐かしく紐解いています。
写真を見ますと、年甲斐も無く真っ赤なシャツを着た男が
写っており、参加していた事がはっきりしました。
但し、文学に素養の無い私には志賀直哉の思い出は全く無く、
かえって旧吉田邸にテニスの沢松さんが住んでいる?とかいう
話だけが記憶にあります。
或いは別の機会の何方かの屋敷見学と記憶違いかもしれませんが?
寒い日が続き、オミクロンの急激な感染増もあって
外出もままなりませんがお元気でお過ごし下さい。
yoshikazuさん、yuukoさんの記憶にニッコリ!です。
思わず「そんな時もあったわね~」 と口ずさんでしまいました。
懐かしい!!。
okoさんのブログのお陰です。本当に感謝!です。
今、こうして語り合えるって本当にいいですね。
ここの所の、厳寒さの中、心が暖まるニュースです。
いつもブログを応援頂きましてありがとうございます。
志賀直哉邸跡書斎、記念館については自由見学だったと思います。
旧宅がありました高台から眺めました手賀沼湖畔の景観は素敵でした。
本当にあのころは若く、ハードスケジュールにも夢中で見学しましたね。
長い間本当にお世話になりました。
コロナが早く収束して皆様と楽しい散策ができますように祈っております。
末永くご厚誼の程宜しくお願い申し上げます。
お寒さの折に皆様どうぞご自愛くださいませ。
感慨深げに 伺いました。イイですねエ。
私にも 思い出っぽい(?)話、ありますネ。
歴史倶楽部では ずいぶん アッチコッチ、連れて行ってもらいました。
大抵は、旅行会社のパックなんぞでは 扱ってくれないような処、ばっかりでした。
野田・我孫子もその類いだったと思います。
我が家ではずっと醤油は銚子のヤマサか、稀にヒゲタでしたのに、
キッコーマンの野田です。
私には ソースみたいな味に思えて、正直 嫌いでしたが、
あの時を境に、イメージ良くなったみたいです。
江戸の昔、醤油は銚子のほうが先発だったとか。
が、地の利があったのは野田の方だったそうで、ほどなく逆転したとか。
野田は江戸川下るだけで江戸。銚子は利根川を上らなければ
ならないだけ 不利だったという解説、憶えてます。
茂木家の庭には水路が来ていて、当主専用の船着き場があり、見物させてもらいました。
直接 江戸まで急ぐことが出来たのだと伺いました。
(キノエネ醤油が野田だと確認したのも この日帰り旅行でしたね。)
次いで向かった我孫子ですが、白樺派の聖地だそうで、アタマ混乱したこと、覚えてます。
実は、地元 稲毛海岸駅の駅前に、多田屋書店というのが 昔 ありまして、
この店で 本 買うと、「アララギ」がどうのこうのと解説した栞が、付いてきたのです。
短歌の雑誌「アララギ」の創刊号から数巻は、多田屋が刊行していたという由緒が載っています。
「へぇー!」って、結構 驚きました。
いまはもう撤退されちゃいましたが、この「アララギ」と「白樺」を混同して、悩ましかったこと!
あの頃は、向学心 結構あったのかも・・・