令和3年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
「遺書」にはご両親様への感謝と奥様に「短い期間ではあったが誰よりも可愛い妻として暮らした事は忘れられない。」とお書きになられました
ご主人様のお気持ちに奥様のお気持ちを考えますと涙があふれ、若かった母の姿を重ねてしまいました。
このような遺書を書きます事が将来絶対にありませんことを祈るばかりです。
「九段短歌」にいつもお心を寄せて頂きまして御礼を申し上げます。
何年か前までは妻の立場のお方の悲痛なお歌のご紹介でしたが、昨今は妻のお方のお歌は皆無になりました。
又掲載人数も極端に少なくなりとても残念に存じますが、全国の遺児・遺族の皆様とご一緒に英霊を偲び、投稿させて頂きたく思っております。
今後ともお目を通していただけましたら幸いに存じます。
「鳥海」艦長ご子息の田中暁様、友人の青森県の田中恭子様のお歌を拝見出来ましてご健勝にお過ごしの御事に嬉しく存じました。
「やんばるの森・・・」千葉市 嘉子(私の歌)は、おかげ様で投稿から15年目、今号で153首目の掲載を頂き励みを頂きました。
もしやと思いながらやはりそうだったのですね。
おめでとうございます。
父は海軍で長い間外地に居ったようでした。
上二人残しての出生だったのですが幸い帰還して私達が産まれました。
okaさんのお気持ちを思いますと複雑な思いが致します。
悲惨な戦争を何故したのか何故反対しなかったのかと
両親を責めましたが個人の力でどうにもならない時代だったのだと後に理解したのでした。
京都で国防婦人会の会長をしていた母が特攻隊の話になると決まって泣いておりました。
わだつみの声の本を読んで胸に迫る物がありました
戦争は悲しさを生むだけの様な気がしています。
何とか中止することはできないのでしょうか。
お歌は心して拝読しました。
お父様が帰還されて宜しゅうございましたね。
父を偲びたく短歌を学び始めました。
遺族通信に投稿開始から15年、選者の先生も3人目に変わりました。
現在153首め、月1回の発行ですが何とか200首まで頑張りたく思っております。
父戦死の年齢の3倍にもなりますが、沢山の軍事郵便に父を偲んでおります。
やんばるの森は命の楽園と称されて貴重な生物が生存しているようですね。
返還はされたものの米軍のごみ処理、「世界遺産の延期・・・」などに
困難を期しているようですね。
勿論埋め立て反対も叫ばれていることも学びました。
ただただ、何も申すことはありません。
成程と思い受け止めました。
▼ 生を享け御為死する遺言書
父母お世話 成りに候 (縄)
、
このような遺書はいつまで続くのでしょぷか。
いつも思いますが、このような遺書は書く時間を与えられているのでは?
とても残念です。
父からの軍事郵便を時々読んでは涙があふれますが、遺書らしいものは1通もありません。
母が処分したかはわかりませんが「元気でいる。嘉子をしっかり育てなさい」ばかりです。
本日22日は戦没者追悼式に参列致しました。
戦争を知らない国民が大半を占めておりますことに参列者も少なく、
戦争の事実も忘れられていくように思いました。
戦争で得るものは何もありませんね。
このよな遺書を二度と書くことがありませんように祈りたく思います。