駐車場手前に早くも大きな石碑「水汲みにいくのが地獄の一の木戸
行くとは見えて 帰る人無し」箕輪城攻防戦の激しさか。
おやっ、是は何処かで聞いた事があるぞ! そうだよ 牛伏山の一郷山城の
攻防で見銘寺のあった北の沢の水の手を巡る伝承の筈だか。
まあ、武田の西上州侵略・寺・水の手と揃えば何処にでも当てはまるから
良しとするか。
直ぐに「水の手曲輪」の看板、
山裾に包まれた寺の全景。
石段 . . . 本文を読む
リハビリ第五弾は平地ではなく多少なりともアップダウンのある
「石碑の路」。ここはかって拓本の練習に通った馴染みの場所。
早速、スタート地点の山名八幡に向う。失礼ながら人名全て敬称略。
(1)石の大鳥居を潜って神社駐車場。入り口に巨大な石碑、これが
石碑の路の始り。揮毫は「手島右郷」(12.00)。
上信電車線路を潜る手前参道右に「太刀割りの石」、石碑とは関係ないが名物。
1600年、馬場 . . . 本文を読む
(12)今度は左への登り木段。万葉東歌碑。北村九皐書。逆光で不作。
「利根川の 河瀬もしらず ただ渡り 波にあふのす
逢える君かも」
(13)再び左への木段を登ると万葉東歌碑。大伴部節麿作・千代倉桜舟書。
「わがいはろに 行かも人もが 草枕 旅は苦しと 告げやらまくも」
森林公園への分岐の表示を見ると前方に二叉分岐が見える。
(14)分岐手前の左高台に上るとこのコース最高峰 . . . 本文を読む
今日は天下分け目の対中日戦、序盤の大量失点にもめげずに奇跡のような
逆転勝。此れで残り2試合勝てば中日は7戦全勝、一勝一敗なら
六勝一敗が必要だから我が巨人の優勝は決まったような物。テレビ観戦で
ブログアップはそっちのけ。
9/25の再検診で完全治癒のお墨付きが出ると思ったら期待は外れて延長戦。
再び、1ヶ月分の薬を渡されてスゴスゴ。尤も当初の肝・腎ではなく
「序でにやっておきましょう」の類の老 . . . 本文を読む
昨日の総裁選は麻生氏の予想外の健闘でやや盛り上がり、今日は党三役に
注視が集まっている。興味ある組閣への動きは当然ながら明日以降になるので
天気は悪いが今のうちに探訪の続き。尤も明日は病院で最終診断があるので
控え目にしなくてはならない。
近くの上小塙地区で烏子稲荷と五万石騒動関連がターゲット。
(1)先ず烏子稲荷神社、環状線に赤い大鳥居があるが、そこから
距離がある。
むしろ「はなみずき通り」 . . . 本文を読む
今日も暑い。午後になって総裁選候補者の討論会の大方を聞いてから
一寸散歩で下小塙地区へ。勿論カメラ片手の史跡巡りを兼ねている。
この地区には昔から「東地蔵に西天神」という諺が残っているとの事。
この東地蔵とは「円性寺の地蔵尊」であり西天神とは鎮守の天神様としての
「北野神社」である。ここらから本日の探訪開始。
自宅から歩き出して高前バイパスを横切り「はなみずき通り」を北上して
最初の信号を左折し、 . . . 本文を読む
退院してから丁度一週間、当人は完全に回復と思いこんでいる。だが、
病院から渡された注意書きには「回復には入院期間の三倍を要す」とある。
まあ、これは重病人であった場合であろうし、後日指導不備で絶対にクレーム
を付けられない保険みたいなものだろう。従って三倍に数回少数を乗じた結果
答えは一週間、少しづつ動き出すことにした。手始めは軽く史跡巡り。
昨日の9/17は高崎の誇る俳人・村上鬼城の命日なので、 . . . 本文を読む
埼玉の将門伝説の山を尋ねる事にした。勿論、将門が群馬・埼玉の境に近い
「矢納」で捕われたとの史実は無い。彼の時代の関東平氏の同族争いは
常陸国や下総国が舞台であるし、新王を名乗った後の政庁は茨城県・坂東市
である。それに平貞盛・藤原秀郷に攻められて最後は流れ矢に当って戦死、
其の首は京に晒されたのであって、城峰の「隠れ岩」で掴まったわけでも
ないのは承知の上だ。
午前中、投票に行ったり雑事を片付け . . . 本文を読む
先日、藤岡側から峠道を探索した帰りに県道を歩いていたら
「小柏」の道標、これで思い出したので小柏氏三題。
(1)お菊事件と小柏と。
かって小幡氏に纏わる「お菊伝説」の跡を追い掛け回していた時に
「小柏源六」の名に接している。この御仁、伝説に登場とは
言うものの、れっきとした歴史上の実在人物でこの上日野小柏の産。
例の「菊女蛇責」の事を記した「小幡伝説」の要旨を引用する。
「上総介信貞殿、菊とい . . . 本文を読む
最近は寄る年波のためか、ハイキングの連チャンは疲れが残るので
今日は軽めの史跡と伝説探訪。ターゲットは藤岡の金井城址と平井城址、
それと関連の伝説。
金井城は麓城の平井城と組合せの要害城、その歴史的な詳細は次ページの
「蛇足・平井の上杉のこと」に記す。
173線をひたすら南進、左に平井城址を見て「金井信号」を右折して
175号線。僅かの距離で右の山に送電線鉄塔、左に農協と小学校、
その斜向かいの広 . . . 本文を読む
「金井城」は麓城の「平井城」とワンセットの要害城である。平井城が
危機に晒された時には、この金井城に立て篭もるのが目的。
平井城・金井城等が歴史上に記録されたのは1438年の「永亨の乱」
の時というから戦国前期の話だ。
この頃、鎌倉公方の「足利持氏」と補佐役関東管領・上杉憲実は極めて不仲。
憲実は領地・上野国へ難を逃れるがこの事を古書は「上杉を退治せよとの
御諚なり。上杉この由伝え聞き鎌倉に居る事 . . . 本文を読む
急に平年並の寒気と木枯らしがやってきて、とても暖冬に馴れ切った
感覚では山行きの気分にはならない。それでも明日以降はもっと酷く
なるという予報なので、ぶらりと安中辺まで伝説・史跡探訪に。
(1) お八重ヶ淵
またまた、しつこくも甘楽・菊女伝説の続き。菊女伝説の伝播として
言い伝えられているとされるのでその確め。18号線で城下信号の先の
「安中文化センター」の駐車場へ。このセンターと南隣の「安中小」 . . . 本文を読む
先日、「牛伏山岳会」氏が顧問を連れて箕郷城址に行った記事を見て、
此方も真似して城址巡り、手始めは資料が少ない甘楽の峰城。
小幡氏と言うと直ぐに「国峰城」に飛んでしまう。
一般の地図にも記載は無く、国土院の地形図に僅かに三角点印があるのみ。
午後も天気が良いのを見越して出発。
46号線で小幡の町を抜け、雄川沿いに進むと「戦場」に差し掛かる。
これは「センバ」と読むらしい。この辺から道幅は狭くセンタ . . . 本文を読む
小幡に戻って歴史民俗資料館先の「小幡」信号を左折して
「物産センター」の道へ(14.40)。
直ぐに善慶寺信号を左折して富岡のサファリパーク方面に向かう。
間も無く「善慶寺原」信号の四つ角にハッキリした道標が見えたので
それに従って再び左折、後は分岐毎にある案内板に導かれる。途中に
あと2.5kの道標を見てから
狭い道を0.8kで舗装が切れる。見たところ、其の先はガタガタの
山道なのでとても普 . . . 本文を読む
萩原進編・群馬の墓巡り郡部編をパラパラと捲っていたら
「お菊の墓」が妙義町・中里と紹介されていた。アレッ!お菊の墓は
甘楽の宝積(シャク)寺ではなかったのか?
さては宝積寺のものは寺の作った供養碑かな。それなら町指定の文化財
リストにも載っていないかもしれない。
最近、お菊伝説に拘わったハイキングをしているので一寸気になる。
土曜の午後、時間が空いたので遥々妙義町探訪に出かけた。
妙義町・中里へは . . . 本文を読む