今日の天気は曇り~晴れ。暑い。・・3時半ごろに一雨が・・。
熱中症に気を付けて、仙台七夕まつりに出かけた。
仙台七夕(せんだいたなばた)は、旧仙台藩内各地で五節句の1つ「七夕」に因んで毎年行われている年中行事および祭である。宮城県仙台市で開催されている仙台七夕まつりが特に著名である。
資料から(抜粋)
仙台七夕まつりは例年7月7日の月遅れである8月7日を中日として、8月6日から8日の3日間にわたって行われる。大規模な飾り付けがされるのは一番町や中央通りなどのアーケード街、仙台駅周辺などであるが、それ以外の商店街組織ごとの飾り付けや店舗や家庭など個別の飾り付けなど市内各地至るところに飾り付けがなされる。東北三大祭りの1つに数えられ、例年200万人以上の人が訪れる。
江戸時代初期、仙台藩祖の伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため当地で盛んな年中行事の1つになったともされる。年中行事としての七夕は江戸時代中期頃から全国各地で行われている。1783年(天明3年)には、天明の大飢饉発生による荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われた。1873年(明治6年)の新暦採用を境にして年々七夕の風習は廃れ始め、第一次世界大戦後の不景気以降はそれに拍車がかかった。
1927年(昭和2年)、この状況を憂えた商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。翌1928年(昭和3年)には旧暦開催を新暦日付の月遅れ(8月6日・7日・8日)に開催することとし、東北産業博覧会と関連して「飾りつけコンクール」も行われ以降、華麗な飾りつけが発達するようになった。このようにして、「七夕」という庶民の風習は「七夕祭り」という昼間の商店街で行われるイベントへ転換した。しかし、第二次世界大戦の戦局の悪化とともに規模は縮小された。
戦後の1946年(昭和21年)、仙台空襲で焼け野原となった街に52本の竹飾りで仙台七夕は復活した。翌1947年(昭和22年)の昭和天皇巡幸の際、沿道に5000本の竹飾りを並べて大規模な飾りつけの「七夕祭り」が復活した。1949年(昭和24年)には七夕協賛会が発足した。高度経済成長以降は、「東北三大祭り」の1つに数えられたことで日本各地から団体旅行客が集まる祭りへと変化した。1970年(昭和45年)からは「動く七夕パレード」(現「星の宵まつり」)と「仙台七夕花火祭」が始まり、夜のイベントが加わった。
仙台七夕では、7種類の七夕飾りが飾れる。それぞれの飾りに意味がある。
短冊:学問や書の上達を願う。
紙衣:病や災いの身代わり、または、裁縫の上達を願う。
折鶴:長寿を願う。
巾着:富貴と貯蓄、商売繁盛を願う。
投網:豊漁を願う。
くずかご:飾り付けを作るとき出た裁ち屑・紙屑を入れる。清潔と倹約を願う。
吹き流し:織姫の織り糸を象徴する。
タイ焼き屋さんも”氷”を出してた・・暑い
出店も沢山でてる
七夕飾り。吹き流しが中心で、吹き流しにはくす玉が付く例が多い。