(承前)
輪島進一さんは、「手宮心象」(2001年)と「雨上がる」(2000年)のわずか2点だが、いずれも横に長い作品なので、とくべつ冷遇されているわけでもない。
2点とも、会場の市立小樽美術館の所蔵作で、作者が小樽桜陽高の教壇に立っていた時代の絵だ。
彼の画風の変遷については、下のリンク先で詳しく述べているから、ここでは繰り返さないが、それまでの細密な描法をいったんやめて、細い線が画面のすみずみにまでくるくると踊ることで、全体に動感とリズムを生んでいるのが、2点に共通している(これは、図録の写真ではわからない)。
むろん、「時間」という要素の重要性は、彼の画歴のそれ以前・以後とともに、変わっていないと思われる。「雨上がる」では、右手ではまだ降り残っている雨が、左側ではあがっている。ひとつの画面に、一定の幅を有する時間が描かれているのである。
(しかし、よく考えてみればわかることだが、「現在」とは、かならずしも「一瞬」ではない)
■輪島進一展-変貌する瞬 ■つづき(2007年、網走市立美術館)
また、「雨上がる」では、パノラマ写真のような構図がとられている。
伝統的な透視図法を採用した絵や、標準レンズで撮った写真では、1枚でこのように建物のつらなりを表現することはできない。画面の左右両端に向かって建物が後退していくというこの構図は、一種のフィクションといってよい。
にもかかわらず、見ていてちっとも不自然な感じがないのは、おそらく人間の視覚的な認識が、この絵のありかたに近いのだと思う。ある一点に立って、左から右へずずずいっとあたりを見渡すときに、こういうふうに風景を認識するのではないか。
とすれば、この絵には、「一瞬」ではない、ある一定の幅を有する「現在」が描かれているのだといえる。
さて、左サイドは、小川清、堀忠夫、木嶋良治、冨澤謙の4氏で、おおむね「写実派コーナー」といってさしつかえないと思う。
小川さんは、地元の雑誌の表紙を40年以上にわたって描き続けており、街のすみずみまで熟知しておられるのだろう。
今回は「坂の上の建物」(1985年)「小樽風景」(88年)「屋上からの風景」(95年)「雨後の路地」(99年)の4点。
「屋上からの風景」は、市立小樽美術館の屋上で取材した絵というのがめずらしい。「小樽風景」には、ニューギンザが描かれている。あのころは、市内の繁華街には「デパート」と呼べる大型店がいくつかあったのだ。懐かしいなあ。
堀さんの名前を見たときは、「異国の遺跡などを描いている人がなぜ?」といぶかしく感じたのだが、1980年代初頭には、小樽の建物を題材にしていたことを、今回初めて知った。
「壁」(81年)「小樽倉庫」「廃屋」「秋日」(以上82年)「窓」(83年)の5点で、今回の9人のなかでは、いちばん建物に近づいた視座から描いている。つまり、建物の前景ではなく、扉とその周辺だけなど、一部に焦点を絞って描くのである。
「秋日」は、倉庫の前に籐の籠などが置かれ、静かな風情をかもしだす。何匹かのトンボが、光線のぐあいともども、季節感を演出している。
この4人のなかで、いわゆる写実とちがい、ぎりぎりまで風景を単純化しているのが木嶋さんだ。
構図も色彩も、余計なもの、雑多なものを容赦なく排し、簡素で力強い画面に仕上げている。それでいて、単調さに陥っていないのは、下地にさまざまな色をいれるといった隠し味のためだろう。
「雪降る日」(1999年)「冬の日」(97年)「雪の街」(84年)「雪の日」(83年)の4点で、とりわけ80年代の2点は、家々の屋根が生み出すリズムは、具象でありながら抽象画のようでもあるのが興味深い。
■木嶋良治展(2002年)
最後は、小樽派らしい穏健な風景画をよくする冨澤さん。
「北浜運河」(1999年)「小樽・運河・雪映え」(73年)「北方の街」(85年)「北の集落」(97年)の4点。
■第8回“グループ環”絵画展(2007年)
■冨澤謙個展(06年、画像なし)
■冨澤謙個展(04年)
筆者は「写実派」とくくってしまったが、しかしこの4人にしても、単純に小樽を写生しているわけではないだろう。
たとえば、冨澤さんの「北方の街」にしても、いまこの位置にイーゼルを立てれば、遠景には、小樽海岸の景観(と小樽の商業)を徹底的に破壊する結果となったウィングベイが見えてしまい、とても風景画にはならない。この事実については、おそらく冨澤さんも胸を痛めていらっしゃるのではあるまいか。
実際の小樽の風景がそのままでは絵にならないといういささかさびしい現実を前にして、画家たちは、「自分だけの小樽」をキャンバスに作り上げる。その工程で、加工の度合いに差はあるにせよ、多かれ少なかれ加工を施しているのだと思う。
ところで、近年の美術館は、会場内に掲げる文章を減らす傾向が強まっているように感じる。
見た目をすっきりさせる、館側の見方を押し付けるよりも自由に鑑賞してもらう、混雑する展覧会では長文のパネルがあると人の流れを滞留させがちである…といった理由があるのだろう(あるいは、図録を買ってもらおうという下心もちょっとはあるのかもしれない)。
それらの理由はもっともなのだが、しかし今回の展覧会のように、きちんと画家のことを調べて書かれた文章があると、とても参考になったと感じられる。地味な展覧会でも手を抜いていない-という館の意気込みもつたわってくる。
残念なのは、それらがいっさい図録に掲載されていないこと。モノクロ図版を裏表紙に移し、そのページに、小さな字でも良いから載せてほしかった。それぐらい、読み応えある解説文だった。
2008年10月25日(土)-09年1月25日(日)
市立小樽美術館(小樽市色内2)
輪島進一さんは、「手宮心象」(2001年)と「雨上がる」(2000年)のわずか2点だが、いずれも横に長い作品なので、とくべつ冷遇されているわけでもない。
2点とも、会場の市立小樽美術館の所蔵作で、作者が小樽桜陽高の教壇に立っていた時代の絵だ。
彼の画風の変遷については、下のリンク先で詳しく述べているから、ここでは繰り返さないが、それまでの細密な描法をいったんやめて、細い線が画面のすみずみにまでくるくると踊ることで、全体に動感とリズムを生んでいるのが、2点に共通している(これは、図録の写真ではわからない)。
むろん、「時間」という要素の重要性は、彼の画歴のそれ以前・以後とともに、変わっていないと思われる。「雨上がる」では、右手ではまだ降り残っている雨が、左側ではあがっている。ひとつの画面に、一定の幅を有する時間が描かれているのである。
(しかし、よく考えてみればわかることだが、「現在」とは、かならずしも「一瞬」ではない)
■輪島進一展-変貌する瞬 ■つづき(2007年、網走市立美術館)
また、「雨上がる」では、パノラマ写真のような構図がとられている。
伝統的な透視図法を採用した絵や、標準レンズで撮った写真では、1枚でこのように建物のつらなりを表現することはできない。画面の左右両端に向かって建物が後退していくというこの構図は、一種のフィクションといってよい。
にもかかわらず、見ていてちっとも不自然な感じがないのは、おそらく人間の視覚的な認識が、この絵のありかたに近いのだと思う。ある一点に立って、左から右へずずずいっとあたりを見渡すときに、こういうふうに風景を認識するのではないか。
とすれば、この絵には、「一瞬」ではない、ある一定の幅を有する「現在」が描かれているのだといえる。
さて、左サイドは、小川清、堀忠夫、木嶋良治、冨澤謙の4氏で、おおむね「写実派コーナー」といってさしつかえないと思う。
小川さんは、地元の雑誌の表紙を40年以上にわたって描き続けており、街のすみずみまで熟知しておられるのだろう。
今回は「坂の上の建物」(1985年)「小樽風景」(88年)「屋上からの風景」(95年)「雨後の路地」(99年)の4点。
「屋上からの風景」は、市立小樽美術館の屋上で取材した絵というのがめずらしい。「小樽風景」には、ニューギンザが描かれている。あのころは、市内の繁華街には「デパート」と呼べる大型店がいくつかあったのだ。懐かしいなあ。
堀さんの名前を見たときは、「異国の遺跡などを描いている人がなぜ?」といぶかしく感じたのだが、1980年代初頭には、小樽の建物を題材にしていたことを、今回初めて知った。
「壁」(81年)「小樽倉庫」「廃屋」「秋日」(以上82年)「窓」(83年)の5点で、今回の9人のなかでは、いちばん建物に近づいた視座から描いている。つまり、建物の前景ではなく、扉とその周辺だけなど、一部に焦点を絞って描くのである。
「秋日」は、倉庫の前に籐の籠などが置かれ、静かな風情をかもしだす。何匹かのトンボが、光線のぐあいともども、季節感を演出している。
この4人のなかで、いわゆる写実とちがい、ぎりぎりまで風景を単純化しているのが木嶋さんだ。
構図も色彩も、余計なもの、雑多なものを容赦なく排し、簡素で力強い画面に仕上げている。それでいて、単調さに陥っていないのは、下地にさまざまな色をいれるといった隠し味のためだろう。
「雪降る日」(1999年)「冬の日」(97年)「雪の街」(84年)「雪の日」(83年)の4点で、とりわけ80年代の2点は、家々の屋根が生み出すリズムは、具象でありながら抽象画のようでもあるのが興味深い。
■木嶋良治展(2002年)
最後は、小樽派らしい穏健な風景画をよくする冨澤さん。
「北浜運河」(1999年)「小樽・運河・雪映え」(73年)「北方の街」(85年)「北の集落」(97年)の4点。
■第8回“グループ環”絵画展(2007年)
■冨澤謙個展(06年、画像なし)
■冨澤謙個展(04年)
筆者は「写実派」とくくってしまったが、しかしこの4人にしても、単純に小樽を写生しているわけではないだろう。
たとえば、冨澤さんの「北方の街」にしても、いまこの位置にイーゼルを立てれば、遠景には、小樽海岸の景観(と小樽の商業)を徹底的に破壊する結果となったウィングベイが見えてしまい、とても風景画にはならない。この事実については、おそらく冨澤さんも胸を痛めていらっしゃるのではあるまいか。
実際の小樽の風景がそのままでは絵にならないといういささかさびしい現実を前にして、画家たちは、「自分だけの小樽」をキャンバスに作り上げる。その工程で、加工の度合いに差はあるにせよ、多かれ少なかれ加工を施しているのだと思う。
ところで、近年の美術館は、会場内に掲げる文章を減らす傾向が強まっているように感じる。
見た目をすっきりさせる、館側の見方を押し付けるよりも自由に鑑賞してもらう、混雑する展覧会では長文のパネルがあると人の流れを滞留させがちである…といった理由があるのだろう(あるいは、図録を買ってもらおうという下心もちょっとはあるのかもしれない)。
それらの理由はもっともなのだが、しかし今回の展覧会のように、きちんと画家のことを調べて書かれた文章があると、とても参考になったと感じられる。地味な展覧会でも手を抜いていない-という館の意気込みもつたわってくる。
残念なのは、それらがいっさい図録に掲載されていないこと。モノクロ図版を裏表紙に移し、そのページに、小さな字でも良いから載せてほしかった。それぐらい、読み応えある解説文だった。
2008年10月25日(土)-09年1月25日(日)
市立小樽美術館(小樽市色内2)
なるほど、館内のパネルと印刷物は締め切りが違いますからねー。
コピーも印刷と比べるとけっして安くないですしね。
こういう地味な展覧会にも、佐野力さんが手を貸してくださったらうれしいのですけど、まあ、そこまで頼るわけにもいかないのかな。
どうでもいいテキストなら、べつに読めなくてもかまわないのですが、今回のテキストは、長さもイヤになるほどではないし、情報としてとても役に立つものだと思いました。
会場に掲げられている解説文はおそらく学芸員の力作なのでしょうが、図録編集との時間差があり、間に合わなかったということがあったかも知れませんね。
多方面の準備をたったひとりで星田さんが行っているのでしょうから、その労苦に頭が下がります。
すべては予算が豊富であればということに帰することなのでしょうが、伊藤正展は図録が美術館単独で無かったこと、今回はパンフレットの予算が無かったのかA2の両面印刷で4CとKを一気に印刷し、裁断して表裏を入れ替えて折りだけで製本したという事情から解説文の掲載が出来なかったのだと思います。
コピーでも良いから会場内の解説文を挟んでくれると良かったですね。
学芸の水準が高い小樽美術館は温かく応援したい美術館です。