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坂坦道「風雪」 (札幌市北区)

2020年06月09日 12時34分56秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 なぜかあまり知られていないような札幌市北区北24西10の野外彫刻3点に比べると、こちらは徒歩3分ほどの場所にあるにもかかわらず、「札幌散策」などのサイトなどで紹介されています。
 おなじ坂坦道作品なのですが、どうしてそのような違いが生じたのかは、わかりません。

 手前の地面には絵も埋め込まれています。


 北24条通りに面した、北24西8の路上。
 札幌飛行場の門柱が残されています。

 坂さんの作品は、飛行機のプロペラを模したもので、中に人の顔が埋め込まれています。
 パイロットでしょうか。

 台座の部分を除けば、野外彫刻としては比較的小ぶりといえそうです。


 裏手に回ってみたようす。
 奥に見えるのが、唯一往時のおもかげを残す飛行場の門柱です。

 坂坦道がこのモニュメントを手がけたことについては、サイト「坂家三代の芸術家」に
「母方の祖父、辻領一は、最後の札幌飛行場長でした。」
という記述があり、彼との縁の深さがしのばれます。

 作品については、札幌デジタル彫刻美術館( http://www7b.biglobe.ne.jp/~hashi-sculp/Museum/4kitaku/223/223.html )に、簡にして要を得た解説があるので、それを全文引くことにします。


 「大空に憧れ、空高く飛んだ 父も兄も弟も、遠い想い出になって消えてしまうだろう。」碑にはこう刻まれている。 ここはかつて「札幌飛行場」があった。昭和2年(1927年)、旧北海タイムス社(現:北海道新聞社)はこの辺り周辺に飛行場を開設。やがて国営飛行場となり、札幌―仙台―東京間の定期航空路も開設された。飛行場といっても草を刈って整地してあるだけの滑走路で、機体がぬかるみにはまれば、みんなで力を合わせて引き上げるというのどけさだったという。昭和19年(1944年)には初めて軍用の板敷き滑走路が完成。さらに拡張しようとした矢先に終戦。戦後、進駐軍によって飛行機や施設が焼き尽くされ閉鎖された。 付近一帯は住宅地へと変貌を遂げ、二基の門柱だけが残された。ここにアトリエを建てた彫刻家坂坦道は当時をしのんで、プロペラ型のブロンズ記念碑を制作設置した。   (松原安男)



 ちなみに、ここから北東にわずか2、3分の場所にある公園にも、坂坦道の母子像「いのち」が設置されています。


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参考
□坂家三代の芸術家 http://saka-tandou.com/index.html



・地下鉄南北線「北24条駅」から約580メートル、徒歩8分


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