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(承前)
木田金次郎の書棚にあった本を、彼の絵とともにならべて展示するという企画です。
画家の読書傾向を知ることのおもしろさは確かにありますが、それよりも、書物とその入手経路を通して彼の交友関係がわかってくるたのしさの方が大きいと思います。
かつて木田金次郎のイメージといえば、ひとことで言って「孤高の画家」だったのではないでしょうか。
北海道の漁村に引っ込んで、絵を売ることもほとんどなく、戦後になるまでは個展すら開くこともめったになかった画家。いずれかの団体公募展に所属することが一般的な時代だったにもかかわらず、縁がなかったのも異例です。戦後は全道展の創立に参画しながら、ついに一度も出品していません。
しかし、木田金次郎美術館は、毎年の企画展で調査を重ねて、孤独かと思われがちだった画家が意外にも広い交友圏をもっていたことを、粘り強くあきらかにしてきました。
むしろ、画壇外の人が多いので、ふつうの画家よりも興味深いといえるかもしれないほどです。
また、戦前から、たまに雑誌などに本人が登場しています。
では、どんな本が絵のとなりに陳列されているのでしょうか。列記してきましょう。
菊地一雄「ロダン」(中央公論社)
高村光太郎訳「ロダンの言葉」「続 ロダンの言葉」(新潮文庫)
大正から戦前にかけては日本のロダン熱が今よりもはるかに高く、「白樺」派の面々は崇拝しているといってもいいぐらいでした。有島武郎も白樺派でしたから、木田もその影響をとうぜん受けているはずです。
実際、ロダンの言葉は、彫刻の入門書としてすこぶる役に立ちます。芸術家の生き方を記した本としても、学ぶべきところがいまでもある本だと思います。
岩波、講談社文芸の各文庫で入手できます。
式場隆三郎訳「ゴッホの手紙(三)」(創芸社 近代文庫)
この文庫ははじめて知りました。
いうまでもなくゴッホも日本人が好きな画家。彼の書簡集も岩波文庫で版を重ねています。近年、みすず書房から新しい訳と編纂の書簡集が出版されました。
小高根太郎「富岡鉄斎」(吉川弘文館人物叢書)
茅沼炭鉱産業株式会社「開礦百年史」
木田が文章を寄せています。茅沼は岩内のとなり、泊村にあった歴史の古い炭坑で、ここに敷かれた軌道は、手宮―札幌間よりも古いという説があります。
次に列挙するのは、壁ではなく、床の上のコーナーにまとめて置かれた本(の一部)です。
講談社「日本美術大系」全11巻、平凡社「世界大百科事典」全32巻、「現代絵画の四巨匠 ルオー、ピカソ、マチス、ブラック」「ペルシャ美術」「原色版人物画選 KLEE」「美術手帖」1956年12月号、原色版ライブラリー「ボナール」、「ルーブル国立美術館」「フランス美術展解説」
壁面に戻ります。
和田日出吉「岩内山の邂逅」
これは本ではなく、有名な月刊誌「文芸春秋」1960年4月号の巻頭随筆です(今とレイアウトがまったく変わっていないのがすごい)。
和田さんは人気女優の木暮実千代の夫で、木暮さんは木田の「岩内山」が気にいってコレクションしていたのでした。
続いて、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」コーナー。
主人公のモデルとなった大橋鎭子は、ドラマでは浜松出身となっていましたが、実際は幼いころを北海道で過ごしており、共和町の小沢にいたのです。
木田の絵「牡丹」は大橋が所蔵していたもので、朝日新聞の論説委員で木田を推していた笠信太郎が亡くなったさいに彼の遺族から贈られたものだとのことです。
石森延男「コタンの口笛」(東都書房)
北海道を舞台とした児童文学の代表作。
三宅泰雄「岩内の郷土画家」
「黒潮」という1943年刊の随筆集に収められた文章。よく見ると「ネヴォといふコーヒー店」などというくだりもあります。戦前、文化人がたむろした札幌の伝説的な喫茶店です。
三宅は東京教育大(現筑波大)教授。この近くに、木田、猿橋勝子、三宅が、島本融の邸宅でいっしょに撮った写真が展示されています。いまは猿橋勝子のほうが有名かもしれません。彼女の名を冠した猿橋賞が、女性科学者に与えられています。
また島本邸は、札幌・藻岩山そばに移され「ろいず珈琲店」として現存しています。
…とまあ、こんなぐあいで、ほかにも
中澤茂「助命嘆願」(草土社)
呉茂一「ギリシア神話」(新潮社)
八木義徳「女」(河出書房)
島本融「銀行生誕」(ダイアモンド社)
などがあります。
島本の本は、木田が表紙を描き、装丁も担当しています。
ほかにも装丁した本は何冊かありました。
最後は、木田の絶筆となった「バラ」を彼にオーダーしたといわれる花崎利義「人生の坂」と、美術雑誌「みずゑ」1959年6月号掲載の針生一郎による個展評です。
名高い美術評論家の針生は、木田の個展を「事件」とまで呼んで絶賛しました。
美術館の岡部さんは「苦し紛れで…」と謙遜なさっていましたが、けっして予算が潤沢ではないであろう中で、工夫をこらしてユニークな視点の美術展を開いているのは、ほんとうにすばらしいことだと思います。
筆者は50分しかいませんでしたが、もっとじっくり見たい展覧会でした。
というか、木田の絵のことをほとんど記してなかったので、少しだけ。
木田金次郎美術館の所蔵品は、岩内大火後の作品が多いという印象がありましたが、今回見ると、それ以前の絵や戦前のものが多くて、びっくりさせられました。少しずつ所蔵品、寄託品が増えているようです。
個人美術館とか常設展とかも、しばらく見ないとだめですね。
2016年11月10日(木)~2017年3月28日(火)午前10時~午後6時(最終入館~5:30)、月休み、
木田金次郎美術館
一般500円、高校生200円、小中生100円
木田金次郎の書棚にあった本を、彼の絵とともにならべて展示するという企画です。
画家の読書傾向を知ることのおもしろさは確かにありますが、それよりも、書物とその入手経路を通して彼の交友関係がわかってくるたのしさの方が大きいと思います。
かつて木田金次郎のイメージといえば、ひとことで言って「孤高の画家」だったのではないでしょうか。
北海道の漁村に引っ込んで、絵を売ることもほとんどなく、戦後になるまでは個展すら開くこともめったになかった画家。いずれかの団体公募展に所属することが一般的な時代だったにもかかわらず、縁がなかったのも異例です。戦後は全道展の創立に参画しながら、ついに一度も出品していません。
しかし、木田金次郎美術館は、毎年の企画展で調査を重ねて、孤独かと思われがちだった画家が意外にも広い交友圏をもっていたことを、粘り強くあきらかにしてきました。
むしろ、画壇外の人が多いので、ふつうの画家よりも興味深いといえるかもしれないほどです。
また、戦前から、たまに雑誌などに本人が登場しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2a/7332e19b7f3bc17d307f481435b54763.jpg)
菊地一雄「ロダン」(中央公論社)
高村光太郎訳「ロダンの言葉」「続 ロダンの言葉」(新潮文庫)
大正から戦前にかけては日本のロダン熱が今よりもはるかに高く、「白樺」派の面々は崇拝しているといってもいいぐらいでした。有島武郎も白樺派でしたから、木田もその影響をとうぜん受けているはずです。
実際、ロダンの言葉は、彫刻の入門書としてすこぶる役に立ちます。芸術家の生き方を記した本としても、学ぶべきところがいまでもある本だと思います。
岩波、講談社文芸の各文庫で入手できます。
式場隆三郎訳「ゴッホの手紙(三)」(創芸社 近代文庫)
この文庫ははじめて知りました。
いうまでもなくゴッホも日本人が好きな画家。彼の書簡集も岩波文庫で版を重ねています。近年、みすず書房から新しい訳と編纂の書簡集が出版されました。
小高根太郎「富岡鉄斎」(吉川弘文館人物叢書)
茅沼炭鉱産業株式会社「開礦百年史」
木田が文章を寄せています。茅沼は岩内のとなり、泊村にあった歴史の古い炭坑で、ここに敷かれた軌道は、手宮―札幌間よりも古いという説があります。
次に列挙するのは、壁ではなく、床の上のコーナーにまとめて置かれた本(の一部)です。
講談社「日本美術大系」全11巻、平凡社「世界大百科事典」全32巻、「現代絵画の四巨匠 ルオー、ピカソ、マチス、ブラック」「ペルシャ美術」「原色版人物画選 KLEE」「美術手帖」1956年12月号、原色版ライブラリー「ボナール」、「ルーブル国立美術館」「フランス美術展解説」
壁面に戻ります。
和田日出吉「岩内山の邂逅」
これは本ではなく、有名な月刊誌「文芸春秋」1960年4月号の巻頭随筆です(今とレイアウトがまったく変わっていないのがすごい)。
和田さんは人気女優の木暮実千代の夫で、木暮さんは木田の「岩内山」が気にいってコレクションしていたのでした。
続いて、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」コーナー。
主人公のモデルとなった大橋鎭子は、ドラマでは浜松出身となっていましたが、実際は幼いころを北海道で過ごしており、共和町の小沢にいたのです。
木田の絵「牡丹」は大橋が所蔵していたもので、朝日新聞の論説委員で木田を推していた笠信太郎が亡くなったさいに彼の遺族から贈られたものだとのことです。
石森延男「コタンの口笛」(東都書房)
北海道を舞台とした児童文学の代表作。
三宅泰雄「岩内の郷土画家」
「黒潮」という1943年刊の随筆集に収められた文章。よく見ると「ネヴォといふコーヒー店」などというくだりもあります。戦前、文化人がたむろした札幌の伝説的な喫茶店です。
三宅は東京教育大(現筑波大)教授。この近くに、木田、猿橋勝子、三宅が、島本融の邸宅でいっしょに撮った写真が展示されています。いまは猿橋勝子のほうが有名かもしれません。彼女の名を冠した猿橋賞が、女性科学者に与えられています。
また島本邸は、札幌・藻岩山そばに移され「ろいず珈琲店」として現存しています。
…とまあ、こんなぐあいで、ほかにも
中澤茂「助命嘆願」(草土社)
呉茂一「ギリシア神話」(新潮社)
八木義徳「女」(河出書房)
島本融「銀行生誕」(ダイアモンド社)
などがあります。
島本の本は、木田が表紙を描き、装丁も担当しています。
ほかにも装丁した本は何冊かありました。
最後は、木田の絶筆となった「バラ」を彼にオーダーしたといわれる花崎利義「人生の坂」と、美術雑誌「みずゑ」1959年6月号掲載の針生一郎による個展評です。
名高い美術評論家の針生は、木田の個展を「事件」とまで呼んで絶賛しました。
美術館の岡部さんは「苦し紛れで…」と謙遜なさっていましたが、けっして予算が潤沢ではないであろう中で、工夫をこらしてユニークな視点の美術展を開いているのは、ほんとうにすばらしいことだと思います。
筆者は50分しかいませんでしたが、もっとじっくり見たい展覧会でした。
というか、木田の絵のことをほとんど記してなかったので、少しだけ。
木田金次郎美術館の所蔵品は、岩内大火後の作品が多いという印象がありましたが、今回見ると、それ以前の絵や戦前のものが多くて、びっくりさせられました。少しずつ所蔵品、寄託品が増えているようです。
個人美術館とか常設展とかも、しばらく見ないとだめですね。
2016年11月10日(木)~2017年3月28日(火)午前10時~午後6時(最終入館~5:30)、月休み、
木田金次郎美術館
一般500円、高校生200円、小中生100円
(この項続く)
私も木田金次郎の交友関係については、全く同じことを思いました。
むしろ積極的に人付き合いをしていたようにすら思いました。
そのせいかどうか分かりませんが、木田の作品の個人所有も結構あるようでしたね。
木田金次郎が人嫌いでも狷介でもないことはたとえば八木義徳の小説を読んでもわかります。
そのことを広く知らしめたのは、やはり木田金次郎美術館の功績と思います。
まぁ、絵に惚れこんで、あまり人付き合いに興味のない画家を引っ張りだした人が多かったということなのかもしれませんが(笑)。