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元号なんてやめれ

2019年03月31日 12時05分19秒 | つれづれ日録
 テレビや新聞、インターネットは「平成最後の●●」「新しい元号は?」などの話題で大騒ぎだ。
 1988年から89年にかけては、先代の天皇の病気や死没で列島中が自粛ムードに覆われていた。井上陽水が自動車のテレビコマーシャルで「お元気ですか~?」と言うのも、不謹慎ではないかということで音声がカットされた。
 それを思えば、現天皇陛下が健在のうちに元号が改まることに騒ぎたくなる気持ちは、分からないでもない。

 しかしそれでも、この騒ぎはくだらないと思う。
 特に、新元号をスクープしようとしている記者がいるらしいが、全く無意味ではないか。
 人より少しでも早く知って伝えようというのは記者の本能みたいなものでいちがいに否定はできない。
 だが、新しい元号は、外に漏れた時点で差し替えられる可能性が高いのである。つまり、スクープは自動的に「幻のスクープ」になるのだ。そんな報道に血道を上げたところで全くの徒労ではないか。

 だいたい、元号が改まったところで、それが一部マスコミや官房長官が言うように「新しい時代」になるわけでもない
 元号の変更と時代の変化には何の関係もない。
 20世紀のこの国の最大の出来事が、第2次世界大戦・アジアでの戦争の敗北とその後の民主化であることは議論の余地がないが、その時点(1945年)を過ぎても、年号は「昭和」のままで変わらなかった。
 一方、昭和から平成に変わったときは、バブル景気の真っ最中である。平成に変わったのと同時にバブルがはじけたのではない。
 やたらと日本の伝統を持ち出す向きもあるが、もともとは隋唐から輸入した制度であるし、天皇の代替わりにあわせて「一世一元」に定まったのは明治からである。つまり、明治の終わりから数えて100年ちょっとの歴史しかなく、とても伝統といえるほどのものではあるまい。

 先に昭和20年に元号は変わらなかったと述べた。
 現代日本の出発点が敗戦にあるのだとしたら、あのタイミング(あるいは昭和21年冒頭やサンフランシスコ講和条約など)で元号を改めるか、廃止すべきだったのである。
 しかし、天皇制はそのまま温存され、元号もそのままだった。
 戦後の民主化をよしとせず明治からの旧体制を維持したい勢力を清算することが、戦後の改革では十分にできなかったのである。

 なので、軽い気持ちで話題にすることまで頭ごなしに否定するつもりはないし、人の勝手なのだが、なんの反省も考察もないまま元号を使ったり「平成最後の●●」「平成の●●」などとうたうアーティストやキュレーターに関しては、筆者は「あ、その程度のことしか考えてないんだな」と判断せざるを得ない。 
 西暦というのはキリスト教に基づいた制度であるから、多くの日本人にとって、是が非でも使いたくなるものでもないだろうし
「キリスト教の名の下に行われた殺戮は歴史上ものすごい。それにくみするぐらいなら、自分は元号を使うぜ!」
というポリシーであるのなら、それはそれで理解できるのだが。

 元号はあす4月1日午前11時半ごろに発表され、5月1日から使われる。
 「平成最後の」が終わったら「新元号最初の」がしばらく続くのかと思うと、うんざりである。
 繰り返すが、元号は、時代とは関係がない。
 自分はあまり使うことはなかったし、これからもほとんど使わないだろう。


※追記。「やめれ」は、北海道の方言で「やめろ」の意味。北海道では、下一段活用の動詞の命令形の母音が「え」になる。


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1 コメント

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Unknown (ああ)
2019-05-01 09:31:16
まったくもってこの一連のキチガイ元号天コロマンセー報道は鬱陶しくてかなわんですわ
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