札幌の画家の萩原勇雄さんが亡くなりました。
1923年(大正12年)釧路生まれ。
青空画会(現在の釧路美術協会)の事務局長として釧路美術界の振興に携わってきました。
北海道新聞社では図案課(現在のデザイン課)で活動しました(ネットで検索すると「新聞記者」としている記事が散見されますが、いわゆる記者として事故現場に駆けつけたり原稿を書いたりというよりも、記事に付ける地図やイラストを作成するのがおもな仕事だったと思われます。ということは、おおば比呂司と机を並べたことがあったのかも…)。
画家としては、非常にオーソドックスで穏やかなタッチの風景画を得意としていました。
絵の具をやわらかく重ね、適度な省筆と確実な構図で、釧路などの風景を描いていました。
道内具象画家が地域や団体を超えて結成した「グループ環」は第1回(2000年)から参加しています。
この世代には珍しく、団体公募展には所属していませんでした。
2013年には、釧路市立美術館が個展を企画しました。
ご冥福をお祈りいたします。
■第15回“グループ環”絵画展 (2014)
■芽ぶきの春から白い冬まで 北海道の風景美展 (2006、画像なし)
■萩原勇雄油絵個展 (2003、画像なし)
1923年(大正12年)釧路生まれ。
青空画会(現在の釧路美術協会)の事務局長として釧路美術界の振興に携わってきました。
北海道新聞社では図案課(現在のデザイン課)で活動しました(ネットで検索すると「新聞記者」としている記事が散見されますが、いわゆる記者として事故現場に駆けつけたり原稿を書いたりというよりも、記事に付ける地図やイラストを作成するのがおもな仕事だったと思われます。ということは、おおば比呂司と机を並べたことがあったのかも…)。
画家としては、非常にオーソドックスで穏やかなタッチの風景画を得意としていました。
絵の具をやわらかく重ね、適度な省筆と確実な構図で、釧路などの風景を描いていました。
道内具象画家が地域や団体を超えて結成した「グループ環」は第1回(2000年)から参加しています。
この世代には珍しく、団体公募展には所属していませんでした。
2013年には、釧路市立美術館が個展を企画しました。
ご冥福をお祈りいたします。
■第15回“グループ環”絵画展 (2014)
■芽ぶきの春から白い冬まで 北海道の風景美展 (2006、画像なし)
■萩原勇雄油絵個展 (2003、画像なし)