(承前)
所蔵品展だし、と思って甘くみていたのを反省します。
感動しました。
釧路まで行ったかいがありました。
41点のうち5点だけが道立近代美術館の所蔵品で、この5点が全体の構成上でとても効いています。
自然と人間のかかわりを描いた絵画、彫刻、写真が並んでいます。
作品そのものが良かったのはもちろんなのですが、すでに見たことのある作品も多いわけで、どうしてそんなに感銘を受けたのか、理由をすこし考えてみます。
単なる風景画・ネイチャーフォトは意外と少なく、見る人なりの自然観とじっくり向き合えることが良かったのでしょうか。
また、釧路芸術館だと、訪れるたびに「はるばる来たなあ」という感慨におそわれ、そのことが美術鑑賞にプラスの効果をもたらしていることも考えられ、とくに今回のような自然をとらえた作品の展覧会だと、道東の大自然とあいまって、見る側の気持ちを強めているのかもしれません。
ただ、もっと個人的な事情があるのかなあ。
最初の部屋に、高坂和子「路傍抄」が飾ってあります。
近づいて見ると斜めのストロークと色の帯や斑点ばかりが目に入るのに、離れて見るとリアルな草むらと野の花がそこに現れて驚かされる、この画家ならではの世界です。
筆者はお会いしたことはないのですが、お電話で
「わたしの絵は抽象画なんです」
とお話しになったことを、思い出しました。
となりには岡沼淳一「溯行」=冒頭画像=。
幾何学的な木彫ですが、表面には曲線がほどこされて、シャープさとやわらかさとが共存した作品です。岡沼さんは、十勝川水系の河原などにある埋もれ木を使った作品で知られ、十勝を拠点に活躍した北海道を代表する彫刻家のひとりでした。
解説パネルには、この題について
「20代の頃、沢登りで豪雨と濁流が迫る中、テントで過ごした記憶がもととなった」
とあり、
「川の流れ、作者の記憶、大地に埋もれた木々。
の歴史という、三つの時をさかのぼる意味合いが見えてきます」
と付け加えています。
筆者は泣きそうになりました。
パネルには、作者の記憶について、それ以上は書いていません。しかし若いころの岡沼さんにとって山登りとは、死んだ仲間を探し、とむらう旅だったからです。
(詳述するとまた泣きそうになるので、一番下にリンクを貼っておきます。なお画像は2018年に岡沼淳一さんのアトリエで撮影した「溯行」です。会場内は撮影不可)
少し先に米坂ヒデノリ「殉難」がありました。
米坂さんは釧路出身で、やはり北海道を代表する彫刻家のひとりでした。釧路など各地に野外彫刻があります。
四角い板に、おおまかに造形した木彫の人物像を貼り付けた小品で、初めて見ました。
首を傾け、手前に垂らした両手を結び、脚を交叉させた人物は、表情がわからないにもかかわらず、死者を追悼しているような沈痛さを漂わせます。
1954年8月、釧路の炭鉱で起きたガス爆発事故で39人が犠牲になり、作者は人々の悲しみと鎮魂をテーマにしたということが、解説パネルに記されていました。
それにしても、これほどまでに精神的で格調の高い表現をなしえた彫刻家は、1960年作とのことですから、当時まだ26歳だったことに驚かされます。
唯一難をいえば、この作品が小さいためか、仕切り壁の断面のような壁に飾られ、引きのない通路のような位置で見なくてはならなかったことでしょうか。
筆者はまた、コソボ紛争など世界各地でやまぬ戦火に胸を痛めていた生前の米坂さんを思い出し、しんみりとしてくるのでした。
つまり、はるばる来たということは、釧路という地理的に遠い場所までやって来たということだけではなく、自分が年老いて長い時間(あっという間なのですが)を経てきたという意味でもあるのでしょう。
もちろん、出品作家の中にはまだ健在で活動中の画家・写真家もおられますし、過半数は個人的に接点のない作り手ですが、それでも例えば羽生輝「北の浜辺(床丹)」に相対すると、厳しい北海道(これは別海だそうです)の冬と、それにあらがい、耐えるように生きる人々との相克が、見る側に迫ってきて、えもいわれぬ感慨が迫ってくるのです。
ほかにも感銘を受けた作品は多かったです。
水越武「奇跡の惑星・地球 ホタルが集まる木、イリアンジャヤ、インドネシア」
水越さんは日本を代表する風景・自然写真家で、釧路管内弟子屈町に住んでいます。
この作品はカラーフィルムと思われますが、夜空の星やホタルの光がほとんど点で写っています。デジタルにくらべて感度が非常に低かった当時、これは驚くべきことです。しかも、おうし座のアルデバランよりもすばる(プレアデス星団)が下にあり、南国の雰囲気も感じます。
畠山直哉「Slow Glass : #065」
出品作のリストには1974~81年とあり、 作者が1958年生まれであることを思うと疑義がなくもないのですが、ロンドン郊外ミルトンキーンズで撮影された1枚。
雨粒の向こう側に赤や水色など色とりどりの太い線が走っています。飛行機の航路灯をスローシャッターでとらえたものだそうです。
秋岡美帆「ゆれるかげ」
まことにお恥ずかしい限りなのですが、筆者はずっと秋岡さんを画家だとばかり勘違いしていました。こちらも長時間露光で、わざとピントをずらして木々などを撮り、巨大なプリントに仕上げています。
茫漠とした色がうつろう、良質の抽象絵画の大作にしか見えないんだよな…。
1952~2016年とパネルにありました。早逝が惜しまれます。
赤穴宏「東京遠雷」
2000年の作。おそらく湾岸から東京タワーや高層ビルなどを望んで描いた一枚で、都市を覆う暗い雲の中に細い稲妻が見えるのが、重要な要素になっています。
赤穴さんの画業を振り返ると、1960~70年代前後の緊張感の高い抽象絵画群と、晩年のやわらかな光に包まれた静物画との中間に位置し、いささか地味な作ではないかとも思いますが、こういう文脈で陳列すると、自然の中に挿入された都市風景というユニークなポジションの一点になっています。
それより、東京上空の暗い雲、筆者の目には巨大な怪鳥のようにも見えるのですが…。
杉山留美子「HERE-NOW あるいは無碍光」
展示室の最後を飾るのがこの作品。
いつ見ても美しいです。もう、言葉を付け加える気がおきません。
他の出品作家を列挙しておきます。
露口啓二、今泉心、徳丸滋、伊奈英次、マイケル・ケンナ、日高理恵子、毛綱毅曠、中江紀洋、岩橋英遠、川田喜久治、白岡順、田原桂一、羽山雅愉、田中良、山田泰、田中みぎわ
なお、例によって、図録は発行していないようです。
2024年10月12日(土)~12月8日(日)午前9時半~午後5時(10月25日は午後7時)いずれも入館は30分前まで
月曜休み(10月14日と11月4日を除く)。10月15日休み
北海道立釧路芸術館(釧路市幸町4)
過去の関連記事へのリンク
■旅とアート 巡る・還る(2021)=釧路芸術館の所蔵品展
■花、彩る―十勝へ(5) (2015、帯広。高坂和子「晩夏のレクイエム」を展示)
■コレクション・ギャラリー 北の風景 (2013~14年。同上)
高坂和子さん追悼 (2005)
「岡沼淳一さんを偲ぶ会」の会場
岡沼淳一さんのこと
■ 岡沼淳一工房展 (2018年9月14日~10月8日の9日間、十勝管内音更町)
【告知】「岡沼淳一工房展」(2018年9月14日~10月8日のうち9日間)と「神田日勝と道東の画家たち & 岡沼淳一木彫の世界」(9月15日~12月2日)
■ひがし北海道:美の回廊 (2003、画像なし)
■旧ミマンミニコレクション展(初回)=2003年
■遠藤ミマン・岡沼淳一二人展(2002)
■2002 北の彫刻展(画像なし)
米坂ヒデノリさん死去(釧路、彫刻家)
米坂ヒデノリ「啓示」 釧路の野外彫刻(43)
創作の軌跡映す彫刻30点 米坂ヒデノリさんが郷土釧路市教委に寄託
釧路市民文化会館のレストランが再開
米坂ヒデノリ「凍原」 釧路の野外彫刻(27)
米坂ヒデノリ「青年の像」 釧路の野外彫刻(26)
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
彫刻家・米坂ヒデノリさんが釧路管内白糠町庶路にアトリエ(2011年8月)
米坂ヒデノリ「送り火」 釧路の野外彫刻 (18)
米坂ヒデノリ「防雪林」 釧路の野外彫刻(17)
米坂ヒデノリ「母と子」 釧路の野外彫刻(16)
大滝と洞爺湖畔へ(続き)=三松正夫像
■米坂ヒデノリ個展(2006年)
■米坂ヒデノリ個展 (2005年、画像なし)
■米坂ヒデノリ彫刻展(コタンコロカムイ)(2003年、6月6日の項。画像なし)
■アートスタジオ紅緒展 (2002年、画像なし)
■2002自由美術北海道グループ展
■米坂ヒデノリ個展(2000年)=12月13日の項
赤穴宏さん死去。根室出身の洋画家、新制作会員(2009)
■赤穴宏展 魂へのまなざし(2002年、画像なし)
■杉山留美子展―光満ちるとき (2016、画像なし)
■杉山留美子展[光の絵画へ] (2014、画像なし)
杉山留美子さん死去 (2013)
【告知】杉山留美子展「HERE・NOW あるいは難思光」 (2011年)
■Northern Aspects #02 杉山留美子 ―光満ちる時 (2009年、道立近代美術館)
■WAVE NOW 06
■杉山留美子展(2003年)
■WAVE NOW 02(画像なし)
■札幌の美術(2002年)
所蔵品展だし、と思って甘くみていたのを反省します。
感動しました。
釧路まで行ったかいがありました。
41点のうち5点だけが道立近代美術館の所蔵品で、この5点が全体の構成上でとても効いています。
自然と人間のかかわりを描いた絵画、彫刻、写真が並んでいます。
作品そのものが良かったのはもちろんなのですが、すでに見たことのある作品も多いわけで、どうしてそんなに感銘を受けたのか、理由をすこし考えてみます。
単なる風景画・ネイチャーフォトは意外と少なく、見る人なりの自然観とじっくり向き合えることが良かったのでしょうか。
また、釧路芸術館だと、訪れるたびに「はるばる来たなあ」という感慨におそわれ、そのことが美術鑑賞にプラスの効果をもたらしていることも考えられ、とくに今回のような自然をとらえた作品の展覧会だと、道東の大自然とあいまって、見る側の気持ちを強めているのかもしれません。
ただ、もっと個人的な事情があるのかなあ。
最初の部屋に、高坂和子「路傍抄」が飾ってあります。
近づいて見ると斜めのストロークと色の帯や斑点ばかりが目に入るのに、離れて見るとリアルな草むらと野の花がそこに現れて驚かされる、この画家ならではの世界です。
筆者はお会いしたことはないのですが、お電話で
「わたしの絵は抽象画なんです」
とお話しになったことを、思い出しました。
となりには岡沼淳一「溯行」=冒頭画像=。
幾何学的な木彫ですが、表面には曲線がほどこされて、シャープさとやわらかさとが共存した作品です。岡沼さんは、十勝川水系の河原などにある埋もれ木を使った作品で知られ、十勝を拠点に活躍した北海道を代表する彫刻家のひとりでした。
解説パネルには、この題について
「20代の頃、沢登りで豪雨と濁流が迫る中、テントで過ごした記憶がもととなった」
とあり、
「川の流れ、作者の記憶、大地に埋もれた木々。
の歴史という、三つの時をさかのぼる意味合いが見えてきます」
と付け加えています。
筆者は泣きそうになりました。
パネルには、作者の記憶について、それ以上は書いていません。しかし若いころの岡沼さんにとって山登りとは、死んだ仲間を探し、とむらう旅だったからです。
(詳述するとまた泣きそうになるので、一番下にリンクを貼っておきます。なお画像は2018年に岡沼淳一さんのアトリエで撮影した「溯行」です。会場内は撮影不可)
少し先に米坂ヒデノリ「殉難」がありました。
米坂さんは釧路出身で、やはり北海道を代表する彫刻家のひとりでした。釧路など各地に野外彫刻があります。
四角い板に、おおまかに造形した木彫の人物像を貼り付けた小品で、初めて見ました。
首を傾け、手前に垂らした両手を結び、脚を交叉させた人物は、表情がわからないにもかかわらず、死者を追悼しているような沈痛さを漂わせます。
1954年8月、釧路の炭鉱で起きたガス爆発事故で39人が犠牲になり、作者は人々の悲しみと鎮魂をテーマにしたということが、解説パネルに記されていました。
それにしても、これほどまでに精神的で格調の高い表現をなしえた彫刻家は、1960年作とのことですから、当時まだ26歳だったことに驚かされます。
唯一難をいえば、この作品が小さいためか、仕切り壁の断面のような壁に飾られ、引きのない通路のような位置で見なくてはならなかったことでしょうか。
筆者はまた、コソボ紛争など世界各地でやまぬ戦火に胸を痛めていた生前の米坂さんを思い出し、しんみりとしてくるのでした。
つまり、はるばる来たということは、釧路という地理的に遠い場所までやって来たということだけではなく、自分が年老いて長い時間(あっという間なのですが)を経てきたという意味でもあるのでしょう。
もちろん、出品作家の中にはまだ健在で活動中の画家・写真家もおられますし、過半数は個人的に接点のない作り手ですが、それでも例えば羽生輝「北の浜辺(床丹)」に相対すると、厳しい北海道(これは別海だそうです)の冬と、それにあらがい、耐えるように生きる人々との相克が、見る側に迫ってきて、えもいわれぬ感慨が迫ってくるのです。
ほかにも感銘を受けた作品は多かったです。
水越武「奇跡の惑星・地球 ホタルが集まる木、イリアンジャヤ、インドネシア」
水越さんは日本を代表する風景・自然写真家で、釧路管内弟子屈町に住んでいます。
この作品はカラーフィルムと思われますが、夜空の星やホタルの光がほとんど点で写っています。デジタルにくらべて感度が非常に低かった当時、これは驚くべきことです。しかも、おうし座のアルデバランよりもすばる(プレアデス星団)が下にあり、南国の雰囲気も感じます。
畠山直哉「Slow Glass : #065」
出品作のリストには1974~81年とあり、 作者が1958年生まれであることを思うと疑義がなくもないのですが、ロンドン郊外ミルトンキーンズで撮影された1枚。
雨粒の向こう側に赤や水色など色とりどりの太い線が走っています。飛行機の航路灯をスローシャッターでとらえたものだそうです。
秋岡美帆「ゆれるかげ」
まことにお恥ずかしい限りなのですが、筆者はずっと秋岡さんを画家だとばかり勘違いしていました。こちらも長時間露光で、わざとピントをずらして木々などを撮り、巨大なプリントに仕上げています。
茫漠とした色がうつろう、良質の抽象絵画の大作にしか見えないんだよな…。
1952~2016年とパネルにありました。早逝が惜しまれます。
赤穴宏「東京遠雷」
2000年の作。おそらく湾岸から東京タワーや高層ビルなどを望んで描いた一枚で、都市を覆う暗い雲の中に細い稲妻が見えるのが、重要な要素になっています。
赤穴さんの画業を振り返ると、1960~70年代前後の緊張感の高い抽象絵画群と、晩年のやわらかな光に包まれた静物画との中間に位置し、いささか地味な作ではないかとも思いますが、こういう文脈で陳列すると、自然の中に挿入された都市風景というユニークなポジションの一点になっています。
それより、東京上空の暗い雲、筆者の目には巨大な怪鳥のようにも見えるのですが…。
杉山留美子「HERE-NOW あるいは無碍光」
展示室の最後を飾るのがこの作品。
いつ見ても美しいです。もう、言葉を付け加える気がおきません。
他の出品作家を列挙しておきます。
露口啓二、今泉心、徳丸滋、伊奈英次、マイケル・ケンナ、日高理恵子、毛綱毅曠、中江紀洋、岩橋英遠、川田喜久治、白岡順、田原桂一、羽山雅愉、田中良、山田泰、田中みぎわ
なお、例によって、図録は発行していないようです。
2024年10月12日(土)~12月8日(日)午前9時半~午後5時(10月25日は午後7時)いずれも入館は30分前まで
月曜休み(10月14日と11月4日を除く)。10月15日休み
北海道立釧路芸術館(釧路市幸町4)
過去の関連記事へのリンク
■旅とアート 巡る・還る(2021)=釧路芸術館の所蔵品展
■花、彩る―十勝へ(5) (2015、帯広。高坂和子「晩夏のレクイエム」を展示)
■コレクション・ギャラリー 北の風景 (2013~14年。同上)
高坂和子さん追悼 (2005)
「岡沼淳一さんを偲ぶ会」の会場
岡沼淳一さんのこと
■ 岡沼淳一工房展 (2018年9月14日~10月8日の9日間、十勝管内音更町)
【告知】「岡沼淳一工房展」(2018年9月14日~10月8日のうち9日間)と「神田日勝と道東の画家たち & 岡沼淳一木彫の世界」(9月15日~12月2日)
■ひがし北海道:美の回廊 (2003、画像なし)
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■遠藤ミマン・岡沼淳一二人展(2002)
■2002 北の彫刻展(画像なし)
米坂ヒデノリさん死去(釧路、彫刻家)
米坂ヒデノリ「啓示」 釧路の野外彫刻(43)
創作の軌跡映す彫刻30点 米坂ヒデノリさんが郷土釧路市教委に寄託
釧路市民文化会館のレストランが再開
米坂ヒデノリ「凍原」 釧路の野外彫刻(27)
米坂ヒデノリ「青年の像」 釧路の野外彫刻(26)
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
彫刻家・米坂ヒデノリさんが釧路管内白糠町庶路にアトリエ(2011年8月)
米坂ヒデノリ「送り火」 釧路の野外彫刻 (18)
米坂ヒデノリ「防雪林」 釧路の野外彫刻(17)
米坂ヒデノリ「母と子」 釧路の野外彫刻(16)
大滝と洞爺湖畔へ(続き)=三松正夫像
■米坂ヒデノリ個展(2006年)
■米坂ヒデノリ個展 (2005年、画像なし)
■米坂ヒデノリ彫刻展(コタンコロカムイ)(2003年、6月6日の項。画像なし)
■アートスタジオ紅緒展 (2002年、画像なし)
■2002自由美術北海道グループ展
■米坂ヒデノリ個展(2000年)=12月13日の項
赤穴宏さん死去。根室出身の洋画家、新制作会員(2009)
■赤穴宏展 魂へのまなざし(2002年、画像なし)
■杉山留美子展―光満ちるとき (2016、画像なし)
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杉山留美子さん死去 (2013)
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■Northern Aspects #02 杉山留美子 ―光満ちる時 (2009年、道立近代美術館)
■WAVE NOW 06
■杉山留美子展(2003年)
■WAVE NOW 02(画像なし)
■札幌の美術(2002年)
(この項続く)