![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/8f/b8c7792d0601d3b85efd31e370a04e71.jpg)
(承前。長文です)
この金属彫刻と歌碑については、まったく知りませんでした。
能取湖沿いの国道238号を通っているとき、偶然目にしたものです。
ちなみに次の画像で、能取湖と碑・オブジェの間に、灰色の帯が見えますが、これは旧国鉄湧網線の跡を利用したサイクリングロードです。
本を読む人間の形態をごく単純化して造形しています。
横から見ると「人」という漢字にも見えてきます。
頭部は球体で表され、両脚は上半身に比べると、大きめに造形されて、安定感を増しています。
アルミニウムなどで成形されているのでしょうか、全体が銀色に鈍く光っています。
右手の歌碑には、次のような短歌が刻まれていました。
一生かけて抱きつづけしこの夢を
わが若きらに託し目守らむ
一九七七年秋 新しい闘いの門出に際して
ふつうは読めるだろう、と思われる漢字にもルビがふってあります。
個人的には、「一生」に「ひとよ」とルビをふるのはどんなものだろうと思ったし、「若きら」も「若き人ら」などとしないと、文法的に破格という気もしますが、日本語には「耐えがたきを耐え」とか「老いも若きも」といった成句があるので、許容範囲なのかもしれません。
筆者は不勉強で、安井郁という人物を知らなかったのですが、「コトバンク」などによると、「やすいかおる」とよみ、国際法学者。
東京帝大の教授の後、戦後は法政大教授や東京・杉並区の公民館長を務め、第五福竜丸の被ばく事件を機に杉並の主婦から全国へと大きな盛り上がりをみせた原水爆禁止運動の事務局長に就任しました。
1955年に広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会を運営するとともに、原水爆禁止日本協議会(原水協)の初代理事長を務めましたが、原水協の分裂とともに、運動の表舞台から退いたということです。
ところが、碑の裏手にまわると、おどろくようなことが書いてありました。
引用します。
「チュチェ思想」とは「主体思想」とも書き、北朝鮮の初代国家主席であった金日成が打ち出した政治思想です。
マルクス・レーニン主義を独自化したものといわれますが、要するに金日成が自らの支配を正当化するために喧伝している思想でしょう。
今でこそ北朝鮮は、拉致問題などを引き起こしたひどい国だという印象を多くの人が抱いていますが、昔は、対峙する韓国が軍事独裁政権だったことや、北朝鮮から伝わってくる情報が少ないこともあって、好感を寄せる人も少なくなかったのです。
日本での北朝鮮に対する見方が変わったのは、左翼系の書物を扱う出版社である亜紀書房が『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』という一冊の本を出したことが大きなきっかけになりました。
これ以降、北朝鮮は、宣伝されているような労働者の天国でもなんでもなく、食糧すら満足に行き渡らず、政治的な自由は全くなく、親の身分に基づく差別と不公平が横行する国であるということがだんだんと知れ渡るようになったのです。
『凍土の共和国』の初版は1984年でした。
したがって、北朝鮮の内情を、その4年前に歿した安井さんが知らなかったのは無理もありません。
仮に旅行者としてピョンヤンに行っても、よそ向けに飾り立てたところしか見ることができないのです。
また、チュチェ思想の書物に掲げてある理想と、北朝鮮の現実とは、正反対と言えるほどに異なります(そういえば、ソヴィエトも、憲法には立派なことを書いてある国でした)。
安井さんは戦中、大東亜共栄圏を法的に擁護したというかどで、戦後は公職追放されているそうです。
原水協の社会党系と共産党系の分裂も含め、まさに時代に振り回された生涯だったといえるのではないでしょうか。
しかし、安井さんは大阪府生まれで、東京で活動した人です。
その碑がなぜ網走にあるのでしょう。
筆者には大きな謎に感じられます。
いろいろネット検索すると「朝鮮民主主義人民共和国を正しく知るために」というウェブサイトの、2019年更新のページ
「チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する―「金日成主席を回顧する集い」が網走で開催される―」
にいきあたりました。
そのなかに
という記述があるのです。
ひえ~。こんなことが書かれているから、ネトウヨの間で「アイヌ民族にチュチェ思想が広まっている」などといううわさがまことしやかに広まるのか。だけど、たぶん札幌や胆振、日高のアイヌの人は「えっ、なにそれ」と驚くと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b3/2254fc0ac5bce72fcb0ba4d6c7b11192.jpg)
そして、左のシルバー読書人間が、諏訪政博さんという人なんだそうです。
「諏訪政博」で検索すると、白峰社に勤めていたという記述が出てきます。
そういえば、1970~80年代には「白峰文庫」というシリーズが本屋さんに並んでいて、金日成の著作の邦訳を出してたなあ。
いまは書店では見かけなくなりました。
ただ、諏訪さんが網走出身で早世された人なのかな~、という想像はできますが、上記のサイトには何も触れられていません。
けっきょく、このオブジェや歌碑が網走にあるわけは、わからずじまいです。
ちなみに、朝大憲法ゼミのFacebook によると、このオブジェで背中に持っているのは、ガリ版とのこと。
朝大は朝鮮大学校のことだと思われます。
ガリ版って、今の若い人は知らないだろうなあ。
1970年代ぐらいまで、学級新聞やビラなどを作るのに使われた簡便な印刷機です。
さらに「白峰社」でググると、東京の印刷会社がヒットします。
この会社のサイトには、財務省財務総合政策研究所財政史室編『平成財政史』といった政府系の書物を手がけていることが載っていますが、北朝鮮や金日成についてはまったく登場しません。
しかし、ウィキペディアの白峰社の項目には、尾上健一が創立者であると明記されており、尾上健一という人物がチュチェ思想国際研究所の事務局長だということは、上にリンクを貼ったページからもわかります。
上述のページにも、彼が網走で、チュチェ思想を賞賛する講演を行ったことが記してあります。
北朝鮮と深い関係にある人物が設立した印刷会社が、政府系の書物を印刷したり刊行したりしているの?
しかも財務省って自前の印刷所を持っているのに?
だんだん混乱してきました。
もっとも、ウィキにある白峰社の設立年次よりも、筆者が書店の店頭で白峰文庫を見かけた時代のほうが古いなど、なにが正しいのかよくわからないことがあるのは否めません。
また、その創立者や社長の思想傾向が気に入らないからといって、競争入札で印刷を請け負うことにきまった会社を排除することはできないでしょう。
なお、彫刻の薄い台座の右後ろ側に「第一歩」という題の銘板が取り付けられていますが、それ以外には何も書かれておらず、作者などは不明です。
まだまだわからないことが多いのですが、ものすごい長文になってしまったので、ここらで文章を締めたいと
思います。
・網走バス「常呂線」の「沢見橋」降車、約350メートル、徒歩5分
この金属彫刻と歌碑については、まったく知りませんでした。
能取湖沿いの国道238号を通っているとき、偶然目にしたものです。
ちなみに次の画像で、能取湖と碑・オブジェの間に、灰色の帯が見えますが、これは旧国鉄湧網線の跡を利用したサイクリングロードです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/45/8e995b22e8a76f978f792dee3d2b5d77.jpg)
横から見ると「人」という漢字にも見えてきます。
頭部は球体で表され、両脚は上半身に比べると、大きめに造形されて、安定感を増しています。
アルミニウムなどで成形されているのでしょうか、全体が銀色に鈍く光っています。
右手の歌碑には、次のような短歌が刻まれていました。
一生かけて抱きつづけしこの夢を
わが若きらに託し目守らむ
一九七七年秋 新しい闘いの門出に際して
安井 郁
ふつうは読めるだろう、と思われる漢字にもルビがふってあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/ec/f626899c7b77829c14e3d586571dd155.jpg)
筆者は不勉強で、安井郁という人物を知らなかったのですが、「コトバンク」などによると、「やすいかおる」とよみ、国際法学者。
東京帝大の教授の後、戦後は法政大教授や東京・杉並区の公民館長を務め、第五福竜丸の被ばく事件を機に杉並の主婦から全国へと大きな盛り上がりをみせた原水爆禁止運動の事務局長に就任しました。
1955年に広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会を運営するとともに、原水爆禁止日本協議会(原水協)の初代理事長を務めましたが、原水協の分裂とともに、運動の表舞台から退いたということです。
ところが、碑の裏手にまわると、おどろくようなことが書いてありました。
引用します。
チュチェ思想国際研究所理事長
故安井郁先生(一九〇七年四月二五日~
一九八〇年三月二日)の偉業を記念して
一九八一年三月二日に自主の会が建立
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/5f/05e8b6a6630f0087b9bfb870f538fd71.jpg)
マルクス・レーニン主義を独自化したものといわれますが、要するに金日成が自らの支配を正当化するために喧伝している思想でしょう。
今でこそ北朝鮮は、拉致問題などを引き起こしたひどい国だという印象を多くの人が抱いていますが、昔は、対峙する韓国が軍事独裁政権だったことや、北朝鮮から伝わってくる情報が少ないこともあって、好感を寄せる人も少なくなかったのです。
日本での北朝鮮に対する見方が変わったのは、左翼系の書物を扱う出版社である亜紀書房が『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』という一冊の本を出したことが大きなきっかけになりました。
これ以降、北朝鮮は、宣伝されているような労働者の天国でもなんでもなく、食糧すら満足に行き渡らず、政治的な自由は全くなく、親の身分に基づく差別と不公平が横行する国であるということがだんだんと知れ渡るようになったのです。
『凍土の共和国』の初版は1984年でした。
したがって、北朝鮮の内情を、その4年前に歿した安井さんが知らなかったのは無理もありません。
仮に旅行者としてピョンヤンに行っても、よそ向けに飾り立てたところしか見ることができないのです。
また、チュチェ思想の書物に掲げてある理想と、北朝鮮の現実とは、正反対と言えるほどに異なります(そういえば、ソヴィエトも、憲法には立派なことを書いてある国でした)。
安井さんは戦中、大東亜共栄圏を法的に擁護したというかどで、戦後は公職追放されているそうです。
原水協の社会党系と共産党系の分裂も含め、まさに時代に振り回された生涯だったといえるのではないでしょうか。
しかし、安井さんは大阪府生まれで、東京で活動した人です。
その碑がなぜ網走にあるのでしょう。
筆者には大きな謎に感じられます。
いろいろネット検索すると「朝鮮民主主義人民共和国を正しく知るために」というウェブサイトの、2019年更新のページ
「チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する―「金日成主席を回顧する集い」が網走で開催される―」
にいきあたりました。
そのなかに
7月14日、全国各地から集まったチュチェ思想研究者は、網走にあるチュチェ思想国際研究所初代理事長の歌碑と諏訪政博さんのモニュメントを訪ねました。
ノトロ湖畔にある歌碑とモニュメントの前でアイヌ民族の伝統的な儀式であるイチャルパ(供養)がおこなわれました。
という記述があるのです。
ひえ~。こんなことが書かれているから、ネトウヨの間で「アイヌ民族にチュチェ思想が広まっている」などといううわさがまことしやかに広まるのか。だけど、たぶん札幌や胆振、日高のアイヌの人は「えっ、なにそれ」と驚くと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b3/2254fc0ac5bce72fcb0ba4d6c7b11192.jpg)
そして、左のシルバー読書人間が、諏訪政博さんという人なんだそうです。
「諏訪政博」で検索すると、白峰社に勤めていたという記述が出てきます。
そういえば、1970~80年代には「白峰文庫」というシリーズが本屋さんに並んでいて、金日成の著作の邦訳を出してたなあ。
いまは書店では見かけなくなりました。
ただ、諏訪さんが網走出身で早世された人なのかな~、という想像はできますが、上記のサイトには何も触れられていません。
けっきょく、このオブジェや歌碑が網走にあるわけは、わからずじまいです。
ちなみに、朝大憲法ゼミのFacebook によると、このオブジェで背中に持っているのは、ガリ版とのこと。
朝大は朝鮮大学校のことだと思われます。
ガリ版って、今の若い人は知らないだろうなあ。
1970年代ぐらいまで、学級新聞やビラなどを作るのに使われた簡便な印刷機です。
さらに「白峰社」でググると、東京の印刷会社がヒットします。
この会社のサイトには、財務省財務総合政策研究所財政史室編『平成財政史』といった政府系の書物を手がけていることが載っていますが、北朝鮮や金日成についてはまったく登場しません。
しかし、ウィキペディアの白峰社の項目には、尾上健一が創立者であると明記されており、尾上健一という人物がチュチェ思想国際研究所の事務局長だということは、上にリンクを貼ったページからもわかります。
上述のページにも、彼が網走で、チュチェ思想を賞賛する講演を行ったことが記してあります。
北朝鮮と深い関係にある人物が設立した印刷会社が、政府系の書物を印刷したり刊行したりしているの?
しかも財務省って自前の印刷所を持っているのに?
だんだん混乱してきました。
もっとも、ウィキにある白峰社の設立年次よりも、筆者が書店の店頭で白峰文庫を見かけた時代のほうが古いなど、なにが正しいのかよくわからないことがあるのは否めません。
また、その創立者や社長の思想傾向が気に入らないからといって、競争入札で印刷を請け負うことにきまった会社を排除することはできないでしょう。
なお、彫刻の薄い台座の右後ろ側に「第一歩」という題の銘板が取り付けられていますが、それ以外には何も書かれておらず、作者などは不明です。
まだまだわからないことが多いのですが、ものすごい長文になってしまったので、ここらで文章を締めたいと
思います。
・網走バス「常呂線」の「沢見橋」降車、約350メートル、徒歩5分
(この項続く)
これはとても謎めいた碑ですね。
何か陰謀的妄想が沸いてしまいそうです。
私はあまり銘文を読まないので、いつでも気がつかなかったでしょう。
さすがです。
作品の造形や歌碑の内容にそれほど不審な点はないと思うんですが、なぜ網走の外れにあるのかがわからないです。そして網走で、一昨年にこんな、リンク先にあるような全国大会が開かれていたことへの驚き。外務省と北朝鮮系?企業のつながり…。
謎めいています。
何なんですかねえ。
作品そのものは、楽しさもあるわかりやすい作品に見えました。