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網走市立豊栄中学校跡の彫刻は「少年の像」だった 2021年7月8日は3カ所(2)

2021年07月18日 10時48分07秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 筆者が足を向けたのは、中央橋を渡ってすぐのところにある「エコーセンター2000」内の市立図書館です。

 「作者・題不詳 (網走市豊栄)を見て、彫刻とアートの永遠性について考えた―寒い連休(4)」の謎を解く資料がないかと考えたのですが、すぐに、豊栄中学校の閉校記念誌が見つかりました。

 最後の校長となった本堂茂雄氏が巻頭に寄稿した「豊栄中学校の閉校にあたって」という一文には、次のようにありました。

昭和四二年夏、渡辺紅雲先生の指導により、当時の教職員、生徒により製作された本校のシンボル“少年の像” 閉校にあたり同窓会員の編集によって作られた“記念誌”、また、閉校記念実行委員会により建立される“記念碑”は、校舎がなくなっても、二八年の豊栄中学校の足跡を永くとどめることでしょう。
 

 また、37ページに掲載されている、20期生の遠藤栄治さんの「豊中の思い出」では、次のように回想されています。

渡辺先生に教えてもらいながらみんなで作ったものなんです。でもほとんどの部分が先生が作ったようなものなんですけど生徒の何人かが、モデルになってやっとできたものです。そして渡辺先生自身最後の作品だったそうです。完成後何日か後に亡くなられたそうで、あのころは本当に残念でした。像を見るたびに背の高いメガネをかけた先生の顔が思い出されます。



 口絵ページには渡辺紅雲さんによる制作中(昭和42年7月)と除幕式(同9月)の写真が載っています。

 また、46ページには「少年の像」の完成写真と、周辺の略地図も掲載されているのです。

 もっとも「小公園予想図」の少年の像は右手を挙げて描かれているのが可笑しいです。

 これらの文章をつづった人たちは、まさか校舎が半世紀後も残り、彫刻のほうが朽ち果てていようとは、思ってもみなかったことでしょう。
 「モニュメントは永遠に立っている」
という思考のバイアスは、相当に強いものがありそうです。


 図書館の開架の郷土コーナーでは以前、網走新聞のシリーズ記事「まちの彫刻」の切り抜きファイルも見ることができました。ほんとに助かります。

 なお、彫刻家の渡辺紅雲という人物についてはいまのところまったく手がかりがありません。




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