ユニークなインスタレーションなどをつくっているDr.ツクールさんの、mixiの日記から転載。
コピペしながら、考えた。
いま、アートって、どこにあるんだろう?
(「美術」と「アート」の語感の違いについては、北澤憲昭さんが「アヴァンギャルド以降の工芸」で述べているが、本題ではないから、ここでは深入りしない)
かつての西洋では、王室お抱えとか、ギルド所属のマイスターとか、美術の作り手も流通も、現代とくらべると、ごく限られていた。そのほか、フランスでは、なんといってもサロンだ。サロンの絵を見るところから美術批評も始まったワケだ(百科全書のディドロもサロン会場を行き来する美術批評家だった)。
印象主義のあたりから、目ざとい画廊や画商が、時代の先端をゆく作り手を紹介する仕組みができてきた。デュラン=リュエルとかカーンワイラーは、その時代を代表する名前だ。
しかし、画廊と時代がセットになっていたのは、ジュリアン・シュナーベルがメアリー・ブーン画廊の押しで登場したときあたりが最後じゃないかと思う。だいたい1960年代前後からは、美術館の大型企画展が美術シーンの形成に大きな力を発揮するようになってきた。
近年は、なんだかトリエンナーレとかビエンナーレと称する大型国際展や、アートショーなどが、注目を集めているようだ。
でも、まあ、海の向こうの話は、置いておこう。
札幌の話だ。
筆者は、アートの現場はギャラリーにあると信じ、せっせと足を運んできた。
札幌の場合、ギャラリーとは、貸しギャラリーとほとんど同義語である。
あとは、東京ではとみに影響力を低下させつつある公募展も、まだまだ道内では健在なので、しっかり見なくてはいけない。
もちろん美術館も大事だけど、東京なんかにくらべると、数は少ない。
だけど、貸しギャラリーをまわっているだけでは、なかなか視野に入ってこない表現が、実際におこなわれている。
先日、temporary spaceでお会いしたSさんは毎月ライブペインティングをクラブイベントでやっていると話していた。この「別館」でも何度か登場しているツクールさんやチQさんのmixiの日記には、この種のイベントの告知がときどき登場する。
アートマンギャラリーの野口耕太郎さんも言っていたけど、ライブペインティングはけっこうさかんにおこなわれているようだ。
ただ、さっきも書いたけれど、この手の催しは、フライヤーが時計台ギャラリーなどに置かれることはないし、新聞にお知らせが載ることもない。
もちろん、やってる本人たちがアートを名乗ってるからって、すなわちアートだとはかぎらない。
といって、貸しギャラリーで毎週大量に発表されているカルチャーセンターの産物のほうが、クラブイベントで発表されるライブペインティングよりも偉い-ということにもならないだろう。
ジャン=ミッシェル・バスキアは、アンディ・ウォーホルと知り合うことで、アートの現場に登場した。もしウォーホルが推奨しなかったら、たんなる無名の落書き男として一生を終えていた可能性は高い。
もし、さまざまな現場に、第二、第三のバスキアがいるとしたら、それに光を当てるウォーホルがいなくちゃいけないだろう。
新聞社もキュレーターも行かないんだったらオレが見に行くしかないだろう。
…っていうのは、カッコ良すぎで、ツクールさん、仕事が長引かなくて、くたびれてなかったら、顔出しますね(^_^)
(この項つづく)
◎●5/15(木)●◎
JAHODA Vol.1
テーマ【森】
場所:狸小路2丁目
Sound lab mole
OPEN 18:30
START 19:00
チケット 1,200(+500 1drink)
●Music●
hir.
http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=1000750153
青空教室
http://www.myspace.com/aozorakyoushitu
他(DJ)
●Fashion●
紫いちご(服)
他(モデル・ヘアメイク)
●Art●
Dr.ツクール(装飾)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=368310
Mitsu(装飾・ライブペインティング)
他(装飾)
進行予定
7:00~ バンド演奏
↓
8:40~ ライブペイント
↓
10:00~ ファッションショー
となっています。
※時間は予定です。前後する場合があります。
会場全体が森。
ヤホダ初企画です
是非皆さん来てください!!
(告知文ここまで)
コピペしながら、考えた。
いま、アートって、どこにあるんだろう?
(「美術」と「アート」の語感の違いについては、北澤憲昭さんが「アヴァンギャルド以降の工芸」で述べているが、本題ではないから、ここでは深入りしない)
かつての西洋では、王室お抱えとか、ギルド所属のマイスターとか、美術の作り手も流通も、現代とくらべると、ごく限られていた。そのほか、フランスでは、なんといってもサロンだ。サロンの絵を見るところから美術批評も始まったワケだ(百科全書のディドロもサロン会場を行き来する美術批評家だった)。
印象主義のあたりから、目ざとい画廊や画商が、時代の先端をゆく作り手を紹介する仕組みができてきた。デュラン=リュエルとかカーンワイラーは、その時代を代表する名前だ。
しかし、画廊と時代がセットになっていたのは、ジュリアン・シュナーベルがメアリー・ブーン画廊の押しで登場したときあたりが最後じゃないかと思う。だいたい1960年代前後からは、美術館の大型企画展が美術シーンの形成に大きな力を発揮するようになってきた。
近年は、なんだかトリエンナーレとかビエンナーレと称する大型国際展や、アートショーなどが、注目を集めているようだ。
でも、まあ、海の向こうの話は、置いておこう。
札幌の話だ。
筆者は、アートの現場はギャラリーにあると信じ、せっせと足を運んできた。
札幌の場合、ギャラリーとは、貸しギャラリーとほとんど同義語である。
あとは、東京ではとみに影響力を低下させつつある公募展も、まだまだ道内では健在なので、しっかり見なくてはいけない。
もちろん美術館も大事だけど、東京なんかにくらべると、数は少ない。
だけど、貸しギャラリーをまわっているだけでは、なかなか視野に入ってこない表現が、実際におこなわれている。
先日、temporary spaceでお会いしたSさんは毎月ライブペインティングをクラブイベントでやっていると話していた。この「別館」でも何度か登場しているツクールさんやチQさんのmixiの日記には、この種のイベントの告知がときどき登場する。
アートマンギャラリーの野口耕太郎さんも言っていたけど、ライブペインティングはけっこうさかんにおこなわれているようだ。
ただ、さっきも書いたけれど、この手の催しは、フライヤーが時計台ギャラリーなどに置かれることはないし、新聞にお知らせが載ることもない。
もちろん、やってる本人たちがアートを名乗ってるからって、すなわちアートだとはかぎらない。
といって、貸しギャラリーで毎週大量に発表されているカルチャーセンターの産物のほうが、クラブイベントで発表されるライブペインティングよりも偉い-ということにもならないだろう。
ジャン=ミッシェル・バスキアは、アンディ・ウォーホルと知り合うことで、アートの現場に登場した。もしウォーホルが推奨しなかったら、たんなる無名の落書き男として一生を終えていた可能性は高い。
もし、さまざまな現場に、第二、第三のバスキアがいるとしたら、それに光を当てるウォーホルがいなくちゃいけないだろう。
新聞社もキュレーターも行かないんだったらオレが見に行くしかないだろう。
…っていうのは、カッコ良すぎで、ツクールさん、仕事が長引かなくて、くたびれてなかったら、顔出しますね(^_^)
(この項つづく)
ほんとにカッコ良すぎです。ありがとうございました。
今回はファッションショーの会場装飾・企画として参加しました。
このような催しは、普段ギャラリーなど見ない人たちにも興味を持ってもらえる良いチヤンスなのだと思います。
>普段ギャラリーなど見ない人たちにも興味を持ってもらえる良いチヤンス
なるほどなあ。
逆に、時計台ギャラリーで展覧会をひらく人が、moleにフライヤーを置かなくちゃいけないのかもしれないですね。
ステキな撮影の機会をくださったDr.ツクールさんにも、ステキな言葉で表現していただいたヤナイさんにも感謝です。
「公式カメラマンですか?」
と聞いたんですよ。
竹下さんがうなずいたように見えたので、会話は成立したのかと思いました。(笑い)
まあ、1組目のバンドが、けっこう轟音系でしたから、やむをえないですよね。
撮影、お疲れ様でした。