さいきんのスカイホールは企画展が多く、これも、本田征爾さんと林由希菜さんによる企画。
同ホール全体の半分余り(壁面は、全体の3分の2)のスペースに16人というのはちょっと多すぎるのではと危ぶんだが、意外とスッキリした空間になっていた。佐々木恒平さんが音楽のため、ヘッドフォンセットの場所だけで済んでいることと、jobin.さんと菊池さくらさんの作品が天井からつるされていることが大きいだろう。
とくに菊池さんの作品は、展示空間をななめに横断しているように設営され、空間に広がりと動感を与えている(jobin.さんは、つりさげることについてはベテランの域なので、いうまでもない)。
出品者は次の通り。
井越有紀(立体造形)
磯優子(グラフィック)
風間雄飛(版画)
菊池さくら(立体造形)
栗田健(絵画)
小林麻美(絵画)
佐々木恒平(音楽)
jobin.(空間造形)
中西揚一(絵画)
成田慎(写真)
林美奈子(コラージュ)
林由希菜(絵画)
引山絵里(立体造形)
古田萌(絵画)
本田征爾(絵画・立体造形)
山本祐歳(立体造形)
世代でいえば、若手というよりもう少し上で、30~50代がメーン(60代以上はいないはず)。
個人的には、林由希菜さんの作品を久しぶりに見て、懐かしく感じた。
「みずのかたち」「すってはいて」「さいぼうのうみ #1」「同 #2」の4点は、オイルパステルのひっかき技法で描かれていて、藍色の色面に線描をほどこしている。海の底のように静けさをたたえている。
風間雄飛さんの「やまやま」シリーズは、先だっての cojica cafe での個展でも見たが、今回も大小50点以上が並ぶ。モチーフとなった山の名が付記されていないため、無名の、普遍的な風景のようにも感じられる。
小林麻美さんは「いまがいつかしらない でもぼくはいる ここがどこかしらない でもぼくはいる」という長い題のドローイング5点組みを並べていた。
印象派以後、いったん解体した透視図法的な空間を再び編み直す試みのようにも見えたが、画面にびっしりと打たれた点が、故・北浦晃さんが1970~80年代に取り組んでいた小品を思わせるのは偶然だろうか。
本田さんと山本さんはいつもの通り。
で、以下に書くことは、べつに作家さんも企画側も責めているわけではないので、気にしないでほしいのですが…。
札幌で近年開かれるグループ展は、こんな感じのが多いような印象を受ける。
あるいは、もっと小さい作品が小さい空間に押しこまれているような展覧会はもっと多い。
筆者は老人なので、たとえば、かつて全道展会員の画家5人が「ACT5」展を道立近代美術館を借りて開いたとき、搬入した作品が飾りきれなかったという話などを思い出してしまう。
作品がデカくてたくさんあればいいっていうものでもないのは、もちろんなのだが。
また、絵画や立体造形、陶芸のグループ展は、ほとんどが「この指とまれ」方式で作家仲間が集まるものがほとんどである。これがダメだとは全く思わないが、鋭い時代認識を反映したキュレーターの企画による現代アート展が極めて少ないのはさびしい。
ユニークな組み合わせのグループ展についても、インディペンデントのキュレーター本間真理さんが奮闘しているが、もっとたくさんあってもいいと思う。
見る側の勝手な要望で、特に解決策の妙案もなくて、すみませんが…。
2016年6月14日(火)~19日(日)午前10時~午後7時(最終日~午後4時)
スカイホール(札幌市中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
同ホール全体の半分余り(壁面は、全体の3分の2)のスペースに16人というのはちょっと多すぎるのではと危ぶんだが、意外とスッキリした空間になっていた。佐々木恒平さんが音楽のため、ヘッドフォンセットの場所だけで済んでいることと、jobin.さんと菊池さくらさんの作品が天井からつるされていることが大きいだろう。
とくに菊池さんの作品は、展示空間をななめに横断しているように設営され、空間に広がりと動感を与えている(jobin.さんは、つりさげることについてはベテランの域なので、いうまでもない)。
出品者は次の通り。
井越有紀(立体造形)
磯優子(グラフィック)
風間雄飛(版画)
菊池さくら(立体造形)
栗田健(絵画)
小林麻美(絵画)
佐々木恒平(音楽)
jobin.(空間造形)
中西揚一(絵画)
成田慎(写真)
林美奈子(コラージュ)
林由希菜(絵画)
引山絵里(立体造形)
古田萌(絵画)
本田征爾(絵画・立体造形)
山本祐歳(立体造形)
世代でいえば、若手というよりもう少し上で、30~50代がメーン(60代以上はいないはず)。
個人的には、林由希菜さんの作品を久しぶりに見て、懐かしく感じた。
「みずのかたち」「すってはいて」「さいぼうのうみ #1」「同 #2」の4点は、オイルパステルのひっかき技法で描かれていて、藍色の色面に線描をほどこしている。海の底のように静けさをたたえている。
風間雄飛さんの「やまやま」シリーズは、先だっての cojica cafe での個展でも見たが、今回も大小50点以上が並ぶ。モチーフとなった山の名が付記されていないため、無名の、普遍的な風景のようにも感じられる。
小林麻美さんは「いまがいつかしらない でもぼくはいる ここがどこかしらない でもぼくはいる」という長い題のドローイング5点組みを並べていた。
印象派以後、いったん解体した透視図法的な空間を再び編み直す試みのようにも見えたが、画面にびっしりと打たれた点が、故・北浦晃さんが1970~80年代に取り組んでいた小品を思わせるのは偶然だろうか。
本田さんと山本さんはいつもの通り。
で、以下に書くことは、べつに作家さんも企画側も責めているわけではないので、気にしないでほしいのですが…。
札幌で近年開かれるグループ展は、こんな感じのが多いような印象を受ける。
あるいは、もっと小さい作品が小さい空間に押しこまれているような展覧会はもっと多い。
筆者は老人なので、たとえば、かつて全道展会員の画家5人が「ACT5」展を道立近代美術館を借りて開いたとき、搬入した作品が飾りきれなかったという話などを思い出してしまう。
作品がデカくてたくさんあればいいっていうものでもないのは、もちろんなのだが。
また、絵画や立体造形、陶芸のグループ展は、ほとんどが「この指とまれ」方式で作家仲間が集まるものがほとんどである。これがダメだとは全く思わないが、鋭い時代認識を反映したキュレーターの企画による現代アート展が極めて少ないのはさびしい。
ユニークな組み合わせのグループ展についても、インディペンデントのキュレーター本間真理さんが奮闘しているが、もっとたくさんあってもいいと思う。
見る側の勝手な要望で、特に解決策の妙案もなくて、すみませんが…。
2016年6月14日(火)~19日(日)午前10時~午後7時(最終日~午後4時)
スカイホール(札幌市中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)